・ カルトと絶対性宗教の狭間
本章では、超越性宗教が固着化していくと同時に権力を得た形を絶対性宗教と定義してきた。
また超越性宗教が固着化していきつつも権力からはむしろ弾圧され内閉していく姿をカルトと呼ぶことにしている。
だが、今この島に、そのカルトと絶対性宗教の狭間にある宗教団体がある。
日蓮正宗の信徒団体として出発した創価学会は、数々の抗争の末、本体の日蓮正宗からは破門され独立した宗教団体となった。
最近になって山崎正友によって公表された「水滸会記録」にも見られるように、この団体はその初期から「天下取り」を潜在的な真の目的として、強引な折伏や言論弾圧、政治活動を続けてきた。
そして今や事実上一体である公明党が連立与党の一角を占めることで、この国をコントロールする大きな勢力のひとつになったとさえ言えるだろう。
フランスではナチスドイツに苦しめられた歴史的経緯などもあるため、カルト(フランス語ではセクト)を「デモクラシーの敵としての全体主義をもたらすもの」として強く警戒する風潮が強い。
そのフランスの国民議会(下院)の調査委員会がまとめ、一九九五年に採択された報告書「フランスにおけるセクト」で、創価学会はフランス国内で活動しているカルト(セクト)のひとつとして実名で挙げられている。
しかし、政府、官庁、司法、警察・・・そういった権力の中枢部に隠然とした力を及ぼすようになったとき、その宗教団体はもはやカルトとは言えない。
公明党が連立与党に参加した段階で、創価学会は絶対性宗教への過渡期に入ったと言えるだろう。
仏法をして王法を超えるものとする超越性は仏教各派にある意味で共通するものだが、そこに急進的な使命感や排他性を伴うとき、宗教的目的の完遂のためには手段を選ばないという危険な思想的傾向が生じる。
そういった思想集団が、権力を有するようになったとき、その危険性はさらに深刻なものとなる。
多くのカルトは、力が増大してきた成長期に、時の権力や民衆の良識によって叩かれ、その勢いを削がれてしまう。
創価学会にも何度かそういった局面があったが、そのたびに並外れた権謀術数の力によって切り抜け、もはやカルトとは呼べない段階に達してしまったのである。
ある意味では、既に告発され潰え去ったオウム真理教やライフスペースなどの問題よりも、創価学会を論じることこそ、この島の未来を考える上で非常に重要になってきている。
私たちは国家神道などの復活を警戒することと同時に、いずれかのカルトや宗派などが国家権力と一体となり、絶対性宗教と化していくことには、常に目を光らせていなければならない。