さて、(1)に述べてきたようなALISとNOTEの特徴の違いによって、どのような差違が生じてくる可能性が高いか、考察してみよう。
最初に断っておきたいのだが、私自身は文芸作品の発表に大きな関心があるため、以下の考察は文芸作品中心のものとなっている。
しかし、他分野においても同じようにあてはまる事項もいくつもあると想うので参考にしていただければ幸いである。
【長文の文芸作品の場合】
飽くまでも私見であるが、今のところ、長文の小説や評論、エッセイには、NOTEの方がより向いていると、私なら考える。
長文の小説をALISに書いても、それを読む気力のある読書好きの方にしか読んでもらえない。しかも、仮に本まるまる1冊分の小説を掲載したとしても、もらえる「いいね」はアカウントを持っているALISユーザーの読者ひとりにつき、ひとつだけである。それが翌日ALISに換算されて収益となるが、「いいね」ひとつは現状では数円から十円程度の価値しか持たないと考えられる。
ALISには贈り物の機能もあるが、それは0.1ALISから、よくても10ALIS程度までで、「読みました、ありがとう」という気持ちを表すものとして機能しているのだというのが現状であろう。
もちろん1ALISは上がる可能性も下がる可能性もあるわけだ。
過去最大の暴騰時で140円程度であったという。
そこまで持ち直すと考えるのはあまり現実的ではないが、仮に1ALISが100円程度まで上がったとしても、1冊分の小説を読んだひとりの読者から受け取った通貨は、いいねと贈り物併せて10ALISあった場合ですら(そういうことはめったにないが)約1000円である。
これは最大限の見積もりであり、実際には殆ど起こりえない相場や贈り物を想定している。
しかし、NOTEでは本1冊分の文章は、私の場合で、1000円から1500円で
購入されていく実績がある。
ここで私が言いたいのは、ALISは「長文の労作」には向かないということだ。その主な理由は、ひとつの作品にひとりができる「いいね」は一回だからだ。
だから、本が売れる自信のあるプロの作家や、私のようにプロとまでは言えないが、アマゾンマーケットプレイスでは高い古本が取引きされていて、NOTEで買えばそれより安く読めることだけは確かであり、しかも少ないが読者がいることはいる書き手は、(Facebookやツイッターの宣伝力も少しはあるならなおさら、)長文はNOTEで販売しようと考えるだろう。
つまり、1冊の作品が無料でも読め、いいねひとつでも読めてしまうなら、今後もALISにはプロの作家は殆ど参入してこないのではないだろうか。
NOTEには参入しているが、ALISには参入してこないだろう。
私はプロとは言えないが1冊分の小説をまるまるALISに公開することはないだろう。それを発表する際はALISとNOTEの二つの中からならNOTEを選ぶだろう。
【長文作品を執筆中の場合】
ただ、ALISに小説を発表するとしたら、草稿を連載するにはある程度便利であるということが可能だ。
雑誌連載をしているなら別だが、その断片が自分のパソコンの中のハードディスクにあるだけなら執筆中にALISにいちいちあげておけば、断片ごとに「いいね」がいくらかはつくし、コメントももらえる。
「いいね」の数やコメントは、読者の「感想」でもあるわけだから、参考にもなる。
そしていよいよ1冊分がまとまり、推敲を重ねて発表というとき、出版社からの上梓はもちろん理想なのだが、それがかなわなくともNOTEで発表ということは可能である。
その際、ALISの草稿の方は削除はできないが、下書きに戻すことは認められているので、お世話になっておいてやや恐縮であるが、下書きに戻すという方法が考えられる。
【詩や短文の場合】
さて、ではもっと短文の詩やエッセイの場合はどうであろうか。
ここでNOTEの有料設定は100円からであるというのが重要になってくる。
短文や一編の詩を100円で買ってくれる人はそうそういない。
もっとも、NOTEにはマガジンという機能があり、マガジンを有料にしてそこに投げ入れていくなら、月々のマガジン代で読者は短文や詩を随時読める。
しかし、その方法をとったとき、マガジンを購入してもらえるのは、プロか、プロでなくてもかなりの人気のある書き手でなければならない。
実はこういった短文や詩についてALISが強みを持っていると私は考える。
私自身、いくつかエッセイや詩をALISに発表してみたが、(以下の作品はいささか力不足なので例に出して恐縮であるが、)ある作品に心を動かす力や、目から鱗といった要素があれば、20以上の「いいね」を集めることはそう難しいことではないだろう。
初期で、写真の貼り方やタイミングの取り方などがわかっていなかった時でもある程度読んでもらうことができた。
NOTEではこれを100円(有料にする場合の最低単位)で購入してくれる人や投げ銭をくれる人がいなければ、収益は0であるが、ALISではある程度の収益は見込めるということになる。
さらに文芸作品として発表する域には達していないような日々雑感のようなものも、素直に人の心に伝わることで、意外と多くの「いいね」が集めることがあるのは、これまでに色々と見ていてわかった。
素人でも一所懸命書いた詩から何か想いの核のようなものが伝わってくるとき、私も「いいね」を押してきた。
ALISはそのような人に発表の場をつくり、無から価値を生み出しているところにその手柄のひとつがあるシステムではないだろうか。
極端な比較をすると、本格的な小説1冊分の隣りに、素人の素直なポエムがあったとき、むしろ素人の素直なポエムの方が「いいね」が集まることは、珍しいことではない。
そのような日々雑感を詩の(ような)形にしたものを毎日書いていれば、累積の「いいね」を見たとき「塵も積もれば山となる」といった様相を呈するだろう。
これを極端に法則的に収益面だけから考えると、とにかく短い作品をいくつもいくつも発表して並べておき、少しでも「いいね」が付けばそれでよしとする考え方は、できないものではない。
「ただ、なんでもいいから短い作品を仮想通貨をもらうために並べておいてやれ」と考えるのは、なんというか、むなしい物の考え方である。
どんな機能をもったシステムであれ、そこに自分が真剣に価値あるものを生み出し発表したいと考える人もいれば、どうすれば儲かるかの法則を考察し機械的に実行する人も出るのはある程度、やむをえないことかもしれない。
とにかくNOTEに比べてALISには短い作品の量的発表が向いているということは、「単なる事実」である。
だから、「価値のある」短い作品をこつこつ発表しようと考えるかどうかは、ひとりひとりの主体的選択にかかっている。
しかし、ALISは価値ある作品を集めるための工夫や仕掛けをいくつか用意しているとは思う。
たとえば、「いいね」は誰が押したかわからない。
故に次に考察するPOPLLEのような機械的な「いいね返し」は生じない。
では次回第3回は(写真・動画アプリではあるが)POPLLEの機能や意味、どういう傾向を持っているかの考察に進もう。
基本的には「よい作品を発表したい」と考えている人がいたとしても、システムのいかんによっては、ばかばかしくなってきて、「機械的にこうしておけば収益にはいいんであって、ここではとりあえずそうしておこう」と、使い手が考えてしまい「がち」なシステムというものはあるものだなと思ったのである。
それでも芸術家的良心で、よいものを発表しようとする人はもちろんいるわけなのだが。
(つづく)