ただいま。一週間の台湾車椅子旅行から昨夜帰りました。
一九八六年に台北の故宮博物院に行ったときに見た滝を見上げる老人と少年の墨絵。それを見たとき自分の心身が消えてしまうという神秘体験をした話は前に書いた。
その絵に再会したいと願いながらまずは故宮博物院を訪れた。
台北のMRTは釜山同様に、いちいちスロープ係を呼ばなくてもホームと車両の高さが同じバリアフリー。すべての駅に車椅子改札、エレベーターもある。
そのMRTで士林駅まで行く。そこでバスで乗り換える。故宮博物院行きは三分おきぐらいにどんどん出ている。その大半を占める30系統は低床バスで簡単にスロープが取り出せてバリアフリ-
車椅子でも不便なく、故宮博物院まで到着。
この正面の階段は1986年の記憶がよく残っていた。だが、当時爽健な二〇代の青年だった自分はその脇に車椅子スロープがあったかどうかは全く意識してなかった。だからスロープは後に作られたものか、1986年には既にあったのか不明。
入場すると多言語サービスのコーナーがあった。そこで、身体障碍者手帳を中国語(台湾で使用されている繁体字)に翻訳したものを見せる。すると入場無料だと言われ、日本語による解説オーディオ機器も無料で貸してもらえた。
身体障碍者手帳の中国語訳は台湾の色々なところで有効であるというのは以前から聞いていた。そこで私は何年も前に居住地の大阪府枚方市(私の身体障碍者手帳の発行自治体)に翻訳を申請した。ところが専門家がいないため翻訳内容を市で証明することができないので無理と返答された。
外国が日本の身体障碍者手帳も有効ですと言っているのにそれを居住地の市役所が翻訳サービスできないなんて自分はいったいどこの市民なのか。私は何年も交渉を続けた。数年後にやっとそれは発行された。でも思うにそれは障碍福祉が発達したからではなく、外国からのニューカマーに対する行政サービス部門が発達し、市役所の翻訳部門による証明が可能になったからなのだった。
だが、何年もかかって発行されたこの証明書を私はこの日初めて実際に使った。考えてみればその発行までの交渉の手間賃を換算すれば、この日の入場料よりも高いぐらいかもしれない。でも、誰かが交渉し、道を開く必要のあることのひとつなので、そういう意味では無駄ではなかったと思う。
こうしていよいよ私は32年ぶりに故宮博物院に入場した。(つづく)