去年の今日のfacebookです。
あと3日ぐらいでfacebookのロックが解除されるけど、
その頃旅に出てしまうかも。
ぼくの考えでは生死を超えた涅槃を知るということと、今ここに生きるということはひとつのことです。
近代以前の浄土教などでは、死後の幸福を重んじ、生きている今をないがしろにする傾向があったかもしれない。
しかし、近代以後は死を視界から外し、特に日本では延命を絶対化する。
浄土教にも現生往生の考えが生まれ、最近小谷信千代が『真宗の往生論』できちんと批判するまで幅を利かせていたようです。(ぼくは、自分が学んだのは小谷さんが言っていることだとずっと思っていて、現生往生の思想が幅を利かせていたことなど気づかなかった。それを説いていた人たちが好きじゃない坊さんたちだったこともあるかも。)
真実は人は産まれて生きて死ぬということです。しかも、時間軸で考えると産まれる前と死んだあとがほぼ無限の長さで、生きているのは八月の蝉。
仏教が問うたのは、生だけでもなく、死だけでもなく、死生観であり、生死を貫く真実であると思います。
あと、不思議に思うかもしれないけど、現生往生を説いた坊さんたちはおしなべて、前の戦争のとき、戦争に協力的だったんですよ。
僕はなぜかわかるけど、説明には紙幅を要する。
生死を超えた涅槃を知るほうが、この世の権威を絶対に絶対化しない立ち位置を得るとだけ言っておこうかな。
限りなき働きのままに。