共産主義(3)
マルクスが真の共産主義と考えた「自己疎外からの解放」とは、ではいったいどういったものであろうか。
マルクスは、「私有財産はわれわれをひどく愚かにし、対象が直接に占有されるときにはじめて、対象はわれわれのものであるというようになっている」「それゆえ、私有財産の止揚は、すべての人間的な感覚や特性の完全な解放である」と言う。
ここには「占有の均分化」あるいは「占有の共有財産化」が、私有財産の止揚であるとするような「誤解された共産主義」とは全く異なる見地が示されている。
マルクスは言う。
「世界に対する人間的諸関係のどれもみな、すなわち、見る、聞く、嗅ぐ、味わう、感ずる、思惟する、直観する、感じとる、意欲する、活動する、愛すること、要するに人間の個性のすべての諸器官は、(中略)対象に対するそれらの態度において、(対象をわがものとする)獲得なのである。」
感覚と対象が出会い感応している「今ここ」にあるがままにあることだけが真の対象の獲得である。
「占有」という一種の強迫観念は、常に「今ここ」を単なる「手段」とし続ける「自己疎外」を生み続けるだけだというのである。
少し具体的に考えてみよう。
苦労をして汗まみれになって登ってきた山頂から遙か下界に広がる広大な光景を眺める。
その時、我々の感覚器官である目は、その光景との関係において、深い感動に満たされている。
私たちはその目の前に広がる土地を全部買い占め、専有物とし、登記所に登記する必要があるだろうか。
むしろそのように考えることが、今ここにおける対象の獲得を疎外してしまうのではないか。
その時、一陣の風が吹いてきたとしよう。
心地よい涼しさに首筋が洗われ、皮膚という感覚器官が喜悦する。
その時、その風を占有する必要があるだろうか。そもそも、その風を占有することなどいったいどうやって可能であろうか。
マルクスの『経済学・哲学草稿』を初めて読んだばかりの二十代の私は、学生時代に一緒に暮らしていた女性と別離を余儀なくなれ、失意のどん底にいた。
そんな中、ネパールを旅していた折りだった。私はとある田舎の村の中を一人で散歩していた。
ひとりのネパール人の少女が丘の上から坂道を下ってきた。
彼女は、頭の上に自身の頭の何倍もの大きさの鳥かごを載せていた。その籠の中にはたくさんの鳥たちがいた。珍しい光景だったので私は見とれていた。
と、私とすれ違いざま、少女は満面の笑顔で私に微笑み、白い歯がこぼれた。
その瞬間に私の全感覚器官は彼女の微笑、彼女の存在を獲得していた。私は百パーセントの幸福にあふれた。
少女はすれ違った後も、少し見返りがちに私を見ていた。が、まもなく行き先に視線を戻すと、そのまま坂を下って行った。
私は追いかけて「僕のガールフレンドになってください」と申し込む必要があっただろうか?
その瞬間のネパールの少女との微笑との融合は、京都で一緒に暮らしていた恋人との無数の性行為よりも純粋で永遠であった。
なぜなら、あれら無数の交わりの際、私は「いつまでもこれが続くべきだ」「私は彼女を占有することを保証されるべきだ」という観念によって、常に「今ここ」を取り逃し続けていたからだ。
これがあのページにマルクスが「世界に対する人間的諸関係のどれもみな、すなわち、見る、聞く、嗅ぐ、味わう、感ずる、思惟する、直観する、感じとる、意欲する、活動する、愛すること、要するに人間の個性のすべての諸器官は、(中略)対象に対するそれらの態度において、(対象をわがものとする)獲得なのである。」と書いていたことなのだと私は忽然と悟った。
見上げると青空には雲がゆっくりと流れ、空には鳥が旋回していた。
木々の梢は微風に揺れ、そこでも鳥が囀っていた。
この「今ここ」において、私は「限りなき働き」とひとつであった。そしてそれは毎瞬無限に展開し、万華鏡のように踊り続けていた。
マルクスは、人間が「限りなき働き」と不二でいるこのような状態を、破壊してしまうことを「自己疎外」として批判する。
資本や権力が、「占有の無限増殖」のために「労働者を手段に貶めること」を批判する。
一方、労働者自身が「私有財産」に囚われた価値観の中で、占有の均分化を要求することについて、プロセスとしては十二分に認めているが、それが共産主義の根源的な姿であると考えているわけではない。
(これでこのシリーズを終わります)