KARAのコンサートを生で見たことはない。
最初で最後のチャンスは次のように逃した。
僕が日本橋のPop-idの一階で、PiGUのライブの時間を待っていると
チャリンとドアのカウベルを鳴らせて、子連れのお母さんが店に入ってきた。
彼女は言った。
難波ハッチへはどう行ったらいいですか。
確かけいかりんが説明していたような気がする。
親子が出ていくと、PiGUフアンの客であるオタク系の男子が
難波ハッチ、今夜、KARAだなと言った。
僕は、みりんも、あすかも、皆裏切って、その親子に付いて
難波ハッチへ行こうかと考えた。
そしたらダフ屋がいるに違いない。
お金を出せばKARAが見られる。
けれども、僕はまたチャンスはあるだろうと思ってPop-idに留まった。
そのあと、いくばくもたたぬうちに、KARAもPiGUも解散した。
その後の구하라のソロは、かわいさ路線を捨てて
元メンバーの中で、最もプログレッシブロック?に近づいている気がした。
危険な香りがしないでもなかった。
晩年のヒデのように。
自殺の原因として、元恋人の暴力やリベンジポルノの流出問題が取りざたされている。
しかし、韓国芸能界の闇の深さについて僕は正確には知らない。
ただ、구하라には死の香りがあった。
それが彼女の最後の日々の美しさでもあった。
美化するつもりは毛頭ない。
その危険なボーダーラインを生きつづけるアーチストになってほしかった。
구하라의 명복을 빌겠습니다. 잘자.
おやすみで終わっている最後のインスタ。