2015年に私が書いたピケティの「21世紀の資本」の書評が出てきました。
レビュー対象商品: 21世紀の資本 (単行本)
結局、ピケティの提言している資本の再分配の方法の目玉は累進資本税である。(累進所得税とは違う。)
しかし、それには資本隠しのあらゆる方途を封じることが必要であり、ヨーロッパではEU全体が銀行の情報を互いに透明化することが重要だという。
しかし、もっと他の国に隠したら?
これでは全世界の資産の透明化が必要になってしまい、それには長所もあるだろうが、短所もある(マイナンバーも想起させる)と考えていると、個人の資産ではなく、企業の資産の透明化を言っているというので、ひと安心。
しかし、この処方箋自体はさほど珍しいものではあるまい。
この本の膨大なデータは20世紀の資本と経済の歴史としてはおもしろかったが、処方箋はそれなしでも殆ど誰もが資本の再分配のために考えつくことだ。
問題はそれに関する政治的合意の形成であろう。
つまり、選挙で「資本への累進課税をします。消費税は逆進性があるので廃止します」という政党が政権をとることだろう。
それには、なぜ人々がこの簡単な選挙成果を達成できないのか、そこにはどんな情報操作や大衆心理や社会構造が働いているのかを分析することだと思った。
経済的処方箋は殆ど初めからはっきりしている。
この本はデータで現状を素描することに関して、多大なる努力を払った。
(だが、「最も読まれていないベストセラー」にしかならなかったわけだが。)
そして、いずれにしろ、最大の問題は、資本の再分配に関する合意形成と政権奪取ではなかろうか。
一方マルクス主義と比するとき、ピケティの立場は、「中間的なもの」ということができるだろう。
ピケティはプロレタリアートにすべてをよこせと言っているわけではない。
たとえスーパー経営者でも、経営手腕による利益よりも遥かに大きな資本収益を得すぎているので、適正なバランスを求めようと言っているだけだ。
そのための資本への累進課税である。
それについてどのような率が最も最大多数の最大の幸福につながるのかは、民主主義的な熟議が必要であろう。
日本語訳には校正ミスが多い。
たとえばp301
トップ十分位が懐に入れる賃金のシェアは1980年代、1990年代には6パーセント以下だったのに、1990年代末には増え始め2010年代初めには全所得の7.5ー8パーセントにまで達した。(引用終わり)
フランスの話だが、これは「トップ百分位が」の校正ミスであろう。ほかにももっとあからさまな校正ミスはいくつかある。
また詳細には述べないが、数式は現実の諸要素を含みきれない不正確なものが多く、それを文章で補っている本だということには、充分な留意が必要だろう。
経済学の書としての欠陥はそのような点だけであるが、哲学書として見たとき、マルクスとの違いは歴然としている。
この書は近代の労働における「自己疎外」という哲学的問題に迫ったものではない。数えることのできる富の再分配という非常に限定されたテーマの枠組の中にある書である。
その意味で、哲学書や幸福論として読むのは、初めから的外れである。
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