たとえばこの記事は
27いいね、70.73ALIS配布、118.1ALIS投げ銭だが、
一度も、オススメに出なかった。
読んだ人の多くからは、ウルウルきたという感想をもらっているが、
あなたはウルウルするかしないかは、どうか、ご自分で確かめていただきたいと願うのだ。
オススメに出ない理由は公開されていないが、なんらかの違反によるものではないという、回答はもらっている。
推測するに、僕をミュートしている人が多いから、そういう人の記事はオススメに載せないというロジックが採用されているという仮説が僕の中では最有力だ。
仮説に基づいて話しても仕方ないとも言われたが、ロジックが非公開なので、仮説で話すしかない。
もし、ロジックが非公開で、仮説では話すなと言われたら、何も言わず、結果だけ受け入れろという大変理不尽な話になる。
そこでミュート仮説で話させてもらう。
僕の考えではミュートは私は見たくないという意志表示で誰にでもそうする権利がある。
理由は様々で、つい反論して泥沼にはまるからとか、自分には不愉快だから、政治の話はしたくないから、単に好かんから、虫の写真は見たくないからと多種多様に渡る。
他の人にも見せない方がALISのためによいと考えている人がそのうちの何割かは不明だ。
基本的には、自分は見ないという機能だ。
僕はツイッターで高校の時からの親友の芥川賞作家をミュートしている。
理由は時に僕には反論があるが、高校時代のままのタメ口で反論された日にゃ、彼の立場というものが侵害されるだろうから、見てしまって反論したくなるのを避けたいというものだ。
二人きりなら、なんの問題もなく、もちろん彼のことが嫌いなのではない。
このようにミュートというのは、様々な理由で使われる大変便利な機能だが、少なくとも一義的には
他の人にも見えないものにするべきだという意志表示ではない。
そもそもミュートしている本人には既に見えてないのだから、他の人からも見えなくするべきというのは余計なお世話だ。
見たくない人の権利を認めているのに、見たい人の権利を侵害するのは、やり過ぎだ。
もう一つの問題に触れる。
ミュート機能導入前に運営が、ミュートが実際にどのように使われるかを見て、そのロジックへの反映の仕方を考えると、discordで発言した。
これには次のような問題がある。
たとえば学校の教員がテストを行なうとき、最初に配点を決めて実施する。
やってみて、正答率のばらつきを見てから、配点を変更すると、恣意的に誰かを有利にし、誰かを不利にすることが可能だ。
だから、それは、たとえ誰かを留年させないためという善意でも行わない。
逆に誰かが不利になるからだ。
後出しジャンケンなのだ。
少し例に違いはあるが、実際に誰がミュートされるかを見てから
そのロジックへの反映を決めるのは、いわゆる後出しジャンケンだと思う。
そもそも、僕の記事がオススメに出ないのは、それでいいのか?というこの記事は、
25いいね、63.11ALIS、101.17ALIS投げ銭をいただいている。
そのすべてが全面賛意とは言えないが、なんかおかしくないか?という声は一定数はあると思う。
そしてそれらの声は、相対的に見て、スルーされている感じがする。
この記事や
この記事も
オススメに一切出ない中、高評価を得ている方だと言えるだろう。
普通に?考えて、これらの記事たちがオススメに出ない理由は、新規参入者などにとっても、謎のひとつではないか?