そのとき僕は電車に乗っていた。
快晴。
線路わきの満開の桜が、時折り車窓を流れる。
以下は、その電車の中で耳にした会話。
妙齢の女性が、友人らしき隣席の女性に話しかけている。
毎年、桜が咲くと、死んだ孫を花見に連れていったことを思い出すわー。
2歳半のときに一回だけ連れていって、次の春はもう迎えられなかった。
そのとき、嫁はお腹に三人目のこどもがいて、臨月だった。
お腹が大きくて大変だったけど、嫁が車を運転した。
わたしは嫁に「それ以外何もするな」と言って、お弁当をつくり、席をとって・・・そうやって、孫をお花見に連れていってあげてよかった。
孫は満開の桜を見上げ、小さな指で枝の花を指さして「おはなみ、おはなみ」と幼い声で言って、喜んでいたのを思い出す。
肝臓が悪くてね、私の肝臓をあげたかったけど、六〇を越えた肝臓はだめだと言われて。
若い肝臓であるほどいいと言われて。でも六歳の上の子のを切り取るわけにはいかないでしょ。
お父さんとお母さんの肝臓を使った。
だから二人ともかわいそうにお腹に大きな傷が残っているわー。
そやけど、それでもだめで、孫は死んだ。
この子の命はそう長くはないやろうなーと思って、あのときお花見に連れていってあげて本当によかったわー。
電車の中、そのおばあちゃんは笑顔で友人にこの話をしていたのだけど、ひそかに聞いていた僕は泣いていた。(笑)
幼い命の一度限りのお花見、満開の命と命の呼応した瞬間だったんだろうなあと想う。
せつない場面だけど、そう考えると、歓びのエネルギーが一瞬だけふゎーっと咲きほこる力のようなものも感じる。
一瞬だからこそ、そのシーンは「永遠の今ここ」でもあるような、不思議な心もちがしてくる。
この世に生まれて、咲きほこる満開の桜を、愛しあう人たちと共に一度でも見られて本当によかったね。(涙)
友だちのオリジナル曲 「桜」