古い日記が出てきました。ちなみに僕は自分の二人の子どものラマーズ法での出産に助産院で立ち会い、助産婦さんに渡されたハサミで、父親として臍の緒を切りました。
2012年の日記より
レゲエミュージシャンMINMIの絵本「キセキ」を立ち読みしたとき、出産の際のオーガズムはセックスのオーガズムと比べものにならないほどに強いと書いてあった。
膣を新しい命がくぐっていくとき、それは確かに痛いのだが、この上ないオーガズムだというのだ。そのページを読んでいるとき、なぜか涙が出た。
MINMIはそれを実際に体験したのだろうか。それともこれはひとつの理想的なヴィジョンのようなものなのだろうか。
それを体験した女性はどれぐらいいるのだろうか。
それはセックスでオーガズムを感じることよりも、もっと稀な気もする。
それは自然出産でないと無理な気がする。
病院では無理な気がする。原生自然の中の生き物としての出産でないと無理な気もする。
一方、意外と普遍的でありふれたオーガズムのような気もする。意見のある女性はどうぞ。
ところで生まれてくる赤ん坊にはそれはどのような体験なのか。
バーストラウマが誰にでもあるように、それは後に心的外傷となる苦しみの体験なのか。
もしかすると、それは母親と共有するものなのか。
苦しむ母親から生まれると自分も苦しいのか。
オーガズムを感じている母親から生まれるとそれは赤ん坊にとってもオーガズムなのか。
先日、ターミナルケアにおいて、痛みの緩和は重要だが、最後まで残る痛みはあり、その痛みは出産の痛みと同じように必要なものだという意見を、内藤いづみ医師から聞いた。
私たちは膣のトンネルを潜ってこの世に誕生し、死のトンネルを潜ってあの世に移行する。
そのとき、痛みと苦しみがある。
しかし、そこにはまたオーガズムもある気がする。
それを体験して死んでいくことはありふれたことか、稀なことか。
南無阿弥陀仏はオーガズムの叫びか。
なお2012年当時、この日記をFacebookに書いたとき、次のようなコメントを女性からいただいた。
1人目を個人産院の分娩台で産んだ時、まさに昇天って感じで超気持ち良かったです。
たぶんどのセックスよりも。
天使の輪っかあるじゃないですか、あれが今自分の頭の上にほわんほわんほわんってあるんじゃないか?ってくらいの気持ち良さでしたよ。
二人目の時はそんな感じじゃなかったけど。
なお次の小説は連載中途でお休みしているが、早期出産された胎児の立場から、その感覚を描いた第一章は参考までに関連して読んでほしい。