・ 一神教の系譜
キリスト教は、人類史上唯一の「侵略的な絶対性宗教」なのではない。
彼らは近代以降、もっとも猛威をふるっている絶対性宗教であることは確かだが、それは彼らだけの特別な性質なのではない。
国家と「文明」のあるところ、ほとんどどこでも、絶対性宗教はその萌芽を見せていた。
ただそれらの多くは経済と武力の戦争において他の勢力に凌駕されたがために、その侵略性の腰を折られてしまったに過ぎないとも言える。
中でも超越性宗教から絶対性宗教への典型的な道のりを歩んだのはやはり西南アジアにおける一神教の系譜であろう。
西南アジアにおいてはゾロアスター教、ユダヤ教、キリスト教、イスラームが生まれた。
そのそれぞれは、異民族差別を超えていく超越性原理へのまなざしを持っていた。徹底、不徹底の差はあるにせよ、超越性宗教としての契機を有していた。
ゾロアスター教の開祖ゾロアスターは、シャーマニックな脱魂体験において、死後の生における倫理的な裁きを確信する。
その体験そのものは、部族シャーマニズムにも似たものだが、彼がそこから樹立した思想は強い倫理的要請に基づく正義の宗教であった。
「死と再生」は、一度きりのものであり、そこで「終末論的審判」が下される。それは、部族シャーマニズムの循環的な時間意識から、ユダヤ・キリスト・イスラームの直線的な時間意識に向かう画期的な天啓であった。
また彼は閑職神化していたアフラ・マズダーを最高神として蘇生させる。
この価値逆転の運動も超越性宗教に特有なものである。
すなわち、弱き者、徹底して無力なものが、神と直接つながり、神の正義を生きることで逆転の救済を受けるのである。
そんなゾロアスターにとって火は、偶像崇拝を超えたダイナミックな超越原理そのもののシンボルであるはずだった。
ところがその後のゾロアスター寺院はその火を守護する祭司を置き、この宗教も次第に硬直化していく。
そして、この地で最初の大帝国アカイメネス朝の頃には国教化してしまうのである。
主な一神教の中ではユダヤ教は、民族宗教からの離脱がもっとも不徹底だったと考えられる。
ただ少なくともそれは、唯一神への絶対帰依を説き、王権を相対化する視座を有してはいた。
また民族神話の単なる集成であるだけではなく、モーセという一人の預言者によって創唱された創唱宗教という側面も強い。
だが、その民族主義的制約はやはり大きいと言わなければならないだろう。
特に現代においては、列強によって捏造された「民族主義的な帝国主義」である「シオニズム」との関係で、批判すべき点は多い。
キリスト教については既に論じてきたので、ここで改めて取り上げることはしない。
が、イエスは、人類史上において稀有の徹底した反差別性、地上の権威を超越した原理を宣言した存在であることは今一度確認しておこう。
彼の明らかにした意識の地平は、今なお眩しく輝いている。
しかし、そこから生まれたキリスト教もその後「絶対化」「権力化」の道を免れることはなかった。
そして人類至上最悪の殺戮と収奪を繰りひろげるのは、前節に見たとおりである。
・ イスラームにおける「超越性」と「絶対性」