2013年の今日の日記
僕は今まで三回アメリカに行った。
一回目は1982年の冬、ラジニーシプーラムとポートランド。
二回目は1983年の夏、ラジニーシプーラムとサンフランシスコ。プーラムで、シスコに行くドイツ人を見つけ、車に便乗させてもらった。確か二泊、野宿」して、憧れのサンフランシスコにたどりついた。このとき僕はまだ22歳の大学院生で、このときが一番貧しい旅行だったが、シスコには45日間いた。
三回目は1994年から1997年サンディエゴ。これは公用旅券(外交官パスポート)で家族連れで、仕事で行ったんだ。ロスの日本領事館の天皇誕生日パーティにも呼ばれた。そのとき、ツアー中の由紀さおりに会って話した。笑。
さて、二回目のときのシスコだが。
一番よく行く書店はもちろんCITY LIGHT BOOKSだったが(知ってる人にはわかるはず)、
偶然見つけたEVERYBODY BOOKSHOPにも、何度か出かけた。ここは共産主義の本を専門に売る書店だった。中国語の毛沢東語録もあった。ある朝、この書店に行くと、ペンキでドアや店前の道路にひどく差別的な落書きがされていた。書店員がモップを使って、一所懸命、それを消していた。
僕はまだ日本でそこまであからさまな差別を見たことがなかった。京都の左翼系の書店がそういう攻撃を受けたという話も聞いたことはなかった。
食事はたいてい教会のサルベーションアーミーの配給に浮浪者と一緒に並んで食べていた。
そしていつもストリートのどこかにミュージシャンを見つけ、その音色に耳を澄ませていた。ゴールデンゲートパークでもミュージシャンを見つけては皆で踊っていた。
ヘイトストリートに御座を広げて、自分で描いた墨絵などを売ろうとしたが、日本から母が持たせてくれた高級なハンカチがただ同然で売れただけだった。
僕はサンフランシスコのあらゆる細かな坂道を歩き回っていた。
ある時、小さなパン屋を見つけ、ガラスケースの中のパンをさんざん見つめた後、迷いに迷ってほんの少しだけパンを買った。このとき、店のおねえちゃんが、「これも食べなさい。これもね」と言って、無料で袋に入れてくれた。僕が貧しいとわかったからだと思う。
僕はサンフランシスコのダウンタウンから、危険な黒人街を歩いて抜け、日本人街に行くと、紀伊国屋で立ち読みすることもあった。
そのとき、初めて村上春樹の「中国行きのスロウボート」の新刊を見つけ、この短編を立ったまま全部読んで、涙を流したのは、前に述べたとおりである。
なぜか、今日はそんなことを思い出した。