・ 絶対性宗教の問題
絶対性宗教は、民族国家主義の単なる膨張ではない。
そこには超越性の契機が含まれるからこそ、人類普遍の原理だという主張が生まれる。
超越性宗教が固定化し絶対化し、絶対性宗教として押し広げられようとするとき、地球上では血みどろの覇権争いが繰り広げられることになる。
だが、絶対性宗教はその内部に超越性の契機を含んでいるはずである。
人類史上最悪の世界侵略を行ったキリスト教が、局面が変わると抑圧された人々の解放運動のよりどころとなる。
日本の対外侵略や皇室主義を積極的に支えた浄土真宗が、戦後最も早く真剣にその自己批判を始める。
これらは「絶対性」の中に眠っていた「超越性」が自らをもまた相対化し乗り越えようとする運動なのである。
本章の最初に見たように「超越性」から「絶対性」への変節は、私たちひとりひとりの意識において一瞬のうちにも起こりうる。
超越性が不断の運動であることを停止し、自我がそれに固着した瞬間、ミクロの絶対化は既に生じている。
社会的な現象としての超越性宗教お絶対性宗教化はそのようなミクロの絶対化の集積として現れる。
私たちひとりひとりは念々刻々、今ここにおいて最大限の覚醒をもって自他を解放し続けなければならない。
そのためのヒントは第六章でできるだけ拾い集めてみたい。