1989年。
K高校の28歳の教員だった僕は、夏休みにインドのプーナに師匠(OSHO)に会いに行った。
自由に生きているヒッピーみたいな人たちと瞑想したり、遊んだりしていた。
9月、先生として学校に行くのがイヤだった。もうこのままやめてしまい、インドに永住しようかと思うぐらい。
いやがる体をむりやりひきずって学校へ行った。
やる気も自信も何もなかった。
道を外れる強い動機が足りなかっただけだ。
何かが変わったのは、Sの家に文化祭で使うためのカラオケを借りに皆で行ったときだ。
せっかくなのでカラオケ合戦となった。
Eが「おれはこんな鼻や。それでいいんや。あるがままでいいんや」と言った。
そして続いて僕に向かって
「ほんまにええやつやなあ。同じ歳やったら、よかったのになあ」と言った。
あのカラオケ大会の最中に何かが音を立てて崩れ、新しい何かが始った。
後によくEが言ったものだ。
「なんでそんなことするねん。そんな教師みたいなことするなや!」
僕はそのたび
「おおおお。なるほど。今のは教師みたいだったな」と感心?した。
その感性が最初にはっきりと自覚されたのは、あのカラオケ大会の最中だ。
僕は、こことプーナと何が違う?と思った。
同じだ。
人がいて、心を開けば、エネルギーの祝祭が始る。
次の日も、学校一、めちゃくちゃと評判の2年12組は、収拾不能だった。
音楽の時間にSのマラカスが誰かが振り回したために割れてしまった。
昨日借りてきたばかりの友達の物がクラスに持ち込まれたとたん、一日で壊れてしまう。
数学の時間、廊下を通りがかると、O先生が僕を呼び止めた。
「EとOを連れていってください。邪魔して授業になりません」
僕はふたりを連れて国語科教員室に向かった。
途中、「愛想つかされんようにしなあかん。他のクラスメートにも、マジ邪魔と思われないように考えなあかん」などと言いながら、歩いていた。
が、それをOはそれを全部茶化しで返す。
Oはこの方法以外に、コミュニケーションの方法を知らない。
何を言っても茶化しで返す。
僕はある限界を超えた瞬間、Oの胸ぐらをつかんで廊下の壁に押しつけていた。
「おまえ、ほんまにそれでええんか。ずっとそうやって生きていくんか」
ぐいぐい胸ぐらを揺すっているうちに涙がこぼれてきた。
Oは初め驚いたように僕を見たが、僕が泣いているのに気づいて、何を感じたのか、自分も涙を浮かべ始めた。
Eはそんな二人の真横に立って、どちらにも何も言わず、手も出さず、真剣な顔で見ていた。
通りがかった先生が、加勢しようとしたのか、何か言った。
「あっち行けや。オレとあびの話や」
とOはその先生に言った。
先生は、Oを見て、僕を見て、Eを見た。
OもEも僕に抵抗したり、殴り返そうとするような気配はなかった。
もし、そうしていたら、たぶん、彼らの方が強かったと思う。
だが、先生は三人の表情を見て、黙ってその場を去った。
Oは瞳いっぱいに涙を浮かべて、静かに「手、離せや」と言った。
僕はゆっくりと離した。
僕がやったことは定義上、体罰である。
街でやれば暴行である。
31年間の教員生活で片手で数えられるほどしかしたことはない。(時効)
二人は「授業の邪魔はやめとく」と言った。
二人を連れて数学の授業中の教室に戻った。
「邪魔しないと約束しましたので」
と先生に声をかけた。
数学の先生の話では、その日から2年12組の生徒は全員、数学の授業をちゃんと聞くようになったという話であった。
生徒たちに聞くと、あの数学のO先生は嫌みで嫌いだったから、からかってたけど、あの日からO先生が態度を変えたから、聞いてやることにしたと言っていた。(;゜ロ゜)
(いつも授業中、すべてを茶化しばかり言っていたOは進級がとても危ないメンバーのひとりだった。
それ以後、定期テスト前になると、女子連中が無理やりOを捕まえて、教室に残らせ、または誰かの家に集まって、最低限の点数がとれる目処がつくまで勉強させるようになった。
あるとき、Oは「あのな、あいつらな。無理やりオレを連れていきよるねん。そやけどな。ほんまにな。良かったわ。あれは良かった」と,全く素直ではない、怒ったような言い方で、けれども中身は素直に僕に述懐した。)
(Eは三年生で別のクラスになってから、職員室で他の先生との話で待っているとき、僕の机に座っていたらしい。
ちょうどそのとき、隣に座っていた先生から後で聞いたのだが、Eはそこに座ったまま、すごく遠い目になって、ひとりごとで「あび・・・かぁ・・・」と呟いたらしい。
「すごく印象的なシーンでしたわ」とその先生は言っていた。)
話戻って、その日のホームルーム。
皆に向かって、今日Sのマラカスが割れたことは「情けない」と言った。
「お前らは好きなように振る舞っているけど、互いを傷つけてる。そんなん続けてたら、しまいにあいつはおらん方がええと思われるぞ。もう何人かの先生にそう思われてるぞ」
と言っているうちにまた涙が浮かんできた。
いつになく全員がしーんとして真剣に聞いていた。
真剣で深い目が一斉にこっちを見て、誰も茶化しも冗談も言わなかった。
その日は文化祭の前日だった。
カラオケルームの展示をすることになっていたクラスでは、放課後、その準備を始めた。
集めた空き缶を洗ってくっつけて作った巨大な空き缶ステージを今までバカにして斜めに見ていた連中も、そのセッティングの段になると、ぞろぞろと寄ってきて、大勢で持ち上げて、黒板下に据え付けた。
今までほとんど動いてなかった連中も「何かできることはないか」と言い始めた。
Sが俄然張り切りだして、暗幕、ミラーボール、スポットライトをレンタルしてきた。
すべてのセッティングが完了して、暗闇の中、ミラーボールがくるくる回転し始めたとき、ほーーーーーっと声が上がった。
祭りの始まりだ。その日もそれからカラオケ合戦になった。 (つづく)