
こんにちは、積分定数です。みなさん、ゾンビは知ってますよね。ゲームとかホラー映画によく出てくるアレです。今回はそのゾンビとは全く違う、哲学的ゾンビというものについて書いていきます。

クオリアとは人間一人々々が持っている"感覚"のことです。例えば、トマトをイメージしてみてください。トマトは赤いですよね?では、僕がイメージした"赤"と、あなたがイメージした"赤"は本当に同じ色なのでしょうか?僕がイメージした"赤"はあなたにとっての"青"かもしれませんよね?たしかに、僕たちはトマトを見た瞬間、ある一定の波長の光が目に入ってきて"赤"を感じるわけですが、その"赤"が他人と全く同じ色である確証はどこにもないのです。僕たちは「トマトのような色を赤と呼ぼう」という共通認識を持っているだけなのです。
他にも転んで怪我をしたとき、僕たちは"痛い"と感じます。ではその感覚は万人に共通なものなのでしょうか。僕にとっての"痛い"は誰かにとっての"痒い"かもしれません。僕たちは「転んで怪我をしたときのような感覚を"痛い"と呼ぼう」という共通認識を持っているだけなのです。
このように、決して他者とは共有することができない主観的感覚のことをクオリアというのです。

哲学的ゾンビとは、外面的には普通の人間と全く変わらないのですが、内面的な経験(クオリア)を全く持っていない人間と定義された仮想の存在です。簡単に言うと、「普通の人間と見分けることはできないけれど、一切の感情や感覚を持っていない人間」ということです。哲学的ゾンビは、みんなと同じように泣いたり笑ったり怒ったりします。ただ、それには一切の感情が伴っていないのです。ターミネーターとも少し違います。彼らは皮を一枚剥がせばロボットであることを確認できますが、哲学的ゾンビは体の組織までもが普通の人間と何ら変わらないのです。哲学的ゾンビがもし実在していたとしても、誰もそれを見分けることはできないし、その存在を証明することもできません。あなたの横にいる人が哲学的ゾンビであることを否定することはできないのです。











