なぜFPSとの関係性を欠こうと思ったのか、それはFPSが今盛り上がっている最中であり、この熱狂があと少しで終わってしまったらもったいないと感じたからだ。個人的なFPSとの出会いとその過程、それがいったい何で、なぜあそこまで熱狂する人々がいるのかについて触れつつ、これまでの出来事を述べたいと思う。
FPSはあくまでも人生の側面の一つにしか過ぎない。それは別段危険な思想があるとかないとか、引きこもりになるとか将来に悪影響を与えたり与えなかった入りするといわれるものの、事実的には誰も興味がない。個人的にも長々と書いているが、思い入れはない。好きでもない。一生プレイしたいとも思わない。
しかし、これまでFPSを遊んだ人々は数多くおり、なぜそこに人が集うのかもよくわからないまま自分もプレイしていた。しかし、その理由を考えるより先に、FPSには多くの顔があった。
私はこれまで部活、というもので活動していたこともあるが、そこではそこまで実力というのを実感することがなかった。それは部活に尽力していなかったからだ。おそらく、才能や実力に出会った最初のゲームはサッカーやテニスではなく「FPS」だろう。
FPSは大学受験よりも前に出会ったからだ。
FPSでだんだん上手くなっていくと、あることに気づく。それは石の上にも三年というのがあながち嘘ではないということだ。それまで、ゲームといえば「マリオカート」のようなものだと考えていた。
マリオカートは初心者でも熟練者でも1位になったり12位になったりする。実力差はそのレースごとに現れるだけで、「この人はうまい」というのがあまり感じられない。
それは人生ゲームも同じで、桃鉄を遊んでいても誰がうまいのかなどは求められない。しかし、コールオブデューティー、FPSはそうではない。
上手いという概念が存在するのだ。
FPS、コールオブデューティーにはK/Dなる指標がある。ほかのFPSにもこのレートは存在しており、当時はこのレートが一つのうまさの指標になっていた。なぜか。
今では、FPSといえばランクマッチがある。だからこそ、みんなより高いランクを目指して毎日ランクで戦うわけである。しかし、2010年代前半におけるFPSの上手さの指標はランクではない。K/Dなのだ。
ではそのK/Dはどのくらいで上手いといわれるのか。それはK/Dが1以上であることだ。つまり、FPSにおいて生存回数当たり一人以上倒せれば上手いということになる。
とはいっても、K/Dが高ければいいというわけではない。K/Dが高いといってFPSがうまいという根拠はなく、最終的に最も上手いというのはひとえに指定することは難しい。
しかし、当時のFPSで上位だったり、上手いといわれていた人々にはプレイ時間が異常に長いという特徴があった。
そこで、ひとつに上手くなる前提条件はプレイ時間なのではないかと思ったのだった。
FPSにおける最強とは何なのか?それはある程度上手くなって思ったことでもあった。K/Dはゆうに1を超えるものの、謎に満足できない。もともとなぜ上手さが存在していたのかといえば、勝てないプレイヤーがいたからだが、上手くなったとしてもさらに上手くなりたいと思ってもいた。
しかし、一人でゲームをプレイしていてもK/Dは上がるものの、それ以上の収穫はない。そう、ここで新しい壁にぶつかることになる。それは「いかにコミュニティを作るか?いかに多くの人にアプローチできるか」である。
時はバトロワ時代だった。過去のFPSはK/Dで語り合う戦いだったが、一気にその情勢は変わることになる。
スリーマンセル、フォーマンセルで組んでともに勝利を目指す、このスタイルがはやりだしたのである。これはこれまでのFPSの上手さをある程度否定するものだった。
一人がうまくても意味はない、といわれるかのようにである。
バトロワゲームがはやると、これまでFPSで求められてきたK/Dは参考にすらできなくなる。バトロワ(ラストマンスタンディングルール)は、最後にそこに立っていた1人やチームが勝ちであり、コールオブデューティーのDominationやTDMのようないくら倒されても良いというルールではない。
さらに、バトロワがはやりだしたくらいから、ランクマッチなる存在が現れ始めた。それまで上手い人がいたとしてもカスタムゲームなる「招待マッチ」が彼らと交える一つの方法だったのに対し、ランクマッチでは上位に行けば行くほどそういった人々と自動的にマッチできる。
これによって、例えば今のVALORANTというゲームでは「最高ランクに行けば大会の切符を手に入れられる」ような状況が生み出されている。
これまでアポイントをかけて上手い人や環境を手に入れなければならなかったのに対し、今ではランクマッチで高みを目指すだけでプロになる資格が得られるのだ。
言い換えれば今のFPSは非常に自由がある競争にさらされているともいえるかもしれない。
ひたすらにプレイがうまくてもダメで、上手い人に出会う能力を問われる。それはコミュニティを広げたり、コミュニケーション力を上げてチーム戦を意識したり、ランクマッチで上位に食い込むことである。
ここまで説明してきて、FPSの熱狂がどこへ向かっているのかの一つがWeb3やGameFiではないかと考えている。例えばVALORANTにはレディアントやイモータル、アセンダントといわれるランクが存在するが、それぞれのランク帯に応じてトークンが配布される、といった計らいが実現したらどうなるだろうか。
もしかしたら何かしら話題になるかもしれないが、それはあながち実現するかもしれない。すでにUnityエンジンにNFTを入れ込めるテックはあり、時間次第でFPS強者はPCの前に座っているだけでお金を稼げる時代が来るかもしれないのである。
とはいっても、別に一喜一憂すべきということではない。先にも述べたように時代によってK/Dが求められたり、ランクに心酔したりする。最強が何なのかはわからないものの、それは常に変動し常にどこかにはある。
最初にFPSに出会ったとき、それがただの勝利ではないかもしれないとは思っていたが、本当にそうなるかもしれない。その勝利がより喜ばしいものに、より悔しいものになるのに、そこまで時間を待たなくてもいいかもしれない。