月の砂は、大気や水の侵食を受ける地球上の砂とは違い、尖って鋭い微細な刃物のような状態になっている。俺は帰還する途中で何の気もなしに、金の鎧《マネースーツ》の収納スペースに一つかみの砂を掴んで放り込んだ。まあ、ネコさんへの土産になるだろう。
「くそっ!」
俺の前を黒いシャム猫が地下基地の通路を目指して意気揚々と引き上げていく。いつの間に、俺はあいつに後れを取るようになってしまっていたのか?
ネコの周囲には空気の繭が、極寒の地の凍てつく寒さを、磁気の覆いが生物を死滅させる凶悪な太陽からの放射線をも遮断しているような気配がする。
ネコの魔力容量が多いのか、それとも変換効率が良好なのか?いずれにしても、克服すべき課題は満載だな。
だが、心のモヤモヤする部分は一旦置けば、朗報とも言えるだろう。なんせ、期待していなかった手下《ペット》が実は有望な主力選手に育っていたということなんだから、つまらぬ嫉妬や焦りは三下に任せればいいだけだ。
問題など、無い、あって堪るか!
ともすれば、心の暗闇に堕ちそうになりながら歩き続けると帰還ゲートが目の前に出現していた。
帰還ゲートの前で、ネコが焦れたように砂に尻尾を叩きつけていた。細かい砂が周囲に舞い上がっていく、しばらく舞い上がった砂は漂っているだろう。。
「ご主人、早く、お腹が空いたにゃ」
「ああネコ、悪い。今、行くよ」
白衣を着た綺麗な女性が、紅茶を飲みながら俺の話を聞いている。
「そう、竜さんも大変ね。月まで出掛けてようやく出会えた憧れの女王様だか、お姉様がそんなとんでもない状態だなんて。それでも、男の子としては諦めずにお金を稼ぐのよね。せいぜい、頑張りなさい。陰ながら応援しているわ」
「いや、ネコさん。そんな口先だけじゃなくて、ちゃんとしたアドバイスが欲しいんだけどさあ。特に魔法の効率的な使用、あのネコの方が特段効率が良さそうなんだよ。なんか、ヒントだけでも貰えないかなあ?」
「ふふ、そうね」
ネコさんは、胸のポケットに差していた銀縁の眼鏡を掛けると魔導の講義を始めてくれた。実は、俺が月面の地下基地に戻ってやった最初のことはスマートフォンを取り出してネコさんと通話することだった。まあ、魔法に関してのレクチャーは今までもお願いしていたのだから当然、今回も頼りにさせてもらおう。
「へえー、確かに流星同士をぶつけて処理できればまさに一石二鳥ね。でも、それを本当にやるなんてねえ。それは随分と魔力を消費したでしょうね。その他には、高温の炎で片面を焼いたのね。まあ、いい線いってるのかしら。
それはそうと、ネコはどんなやり方をしたのかな?」
「ああ、あいつは確か・・・」
「なるほど、ネコはかなり効率よく魔力を扱っているようね。しかも、同時に三種類とかの魔導を起動しているとか、かなりのやり手ねえ。本当にいきなりどうしちゃったのかしら?」
「さあな、なんでもアスタロトの力を借りたとか言っていたが。なんにしろ、力を貰っていきなり使いこなすとか。滅茶苦茶じゃないか、なんならあいつ一人で流星群を処理できそうだったしな。俺の立場ってものが、とんだ三枚目になり下がった気分だよ」
「そう、意外とそういう所かも知れないわね。ネコが、とてつもない力をいきなり使いこなせた秘密は、根が単純なんじゃないの?だいたい、いつも何とかなっているようだし。どういう星の導きにあるのか、今度じっくり調べさせて貰うわね」
単純な精神構造の方が、魔導が上手く使えるだと、ふざけるな!そんなことで、この俺が負けるなんて、許されるはずがないだろ!
思わず俺はテーブルを力一杯殴っていた。その拍子にネコさんの土産用に月の砂を詰めたガラス瓶が床に落ちた。割れた瓶から零れた砂が盛大に撒き散らされ、刃物の様に尖った砂が体中を切り苛む痛さに俺は涙した。