ああ、早く天界に帰りたいなあ。あの雲の上にある桃園を眼下にして気兼ねなく、のんびり飛びたいなあ。
白い翼を畳んだ美麗な少年が、溜息を吐きながら豪奢な絵皿や白磁の食器を溜息を吐きながら洗っている。
「ザキエル!早くしな、このノロマ!皿洗いに、いったいいつまで掛かってるんだい!」 「はい、もうすぐ終わります。少々、お待ちを」
少年を叱るのは、妖艶な魅力的な女性であった。ホンの数日前まではこの館で最下層の使い魔であったが、ザキエルと呼ばれる少年がソローンに敗れて軍門に下ったため新入りの教育係に就任したのだ。
ふう、キュルソン先輩は不器用な癖に見栄っ張りで、不用意に格下に偉そうにするところがあるけど本当は面倒見がいい人だよな。たぶん、いや、きっと、たぶん。でなきゃ、僕こんな敵地で生きていけませんよ。そうですよね?神様ぁー!
「何をぼうっとして、つっ立っているんだい、いつまでもしょうがいないねぇー。さっさと手を拭いたらこっちに来な!」
また、叱られるのかいやだなあ。
「ほれ、お腹空いたろ?早く食べな、街で買ってきたお菓子だよ」
「え?これ食べていいんですか?今日はご飯抜きだって言われてたのに?」
ふっ。キュルソン先輩がいたずらっぽく笑った。
「だから、これは食事じゃないよ。おやつなんだから、ご飯にカウントされないのさ。それに、もし、何か言われたら私《アタイ》に毒見させられたって言いな。いいね!」
「はい、ありがとうございます。キュルソン先輩!」
「うーん、先輩って。いい響きだねえ」
僕は、美味しそうな名前も知らないお菓子を頬張った。うっ。
「馬鹿だねえ、そんなガッツかなくても誰も取ったりしないよ。はい紅茶、熱いから気を付けな」
「ふぅー、美味しいお茶ですね。助かりました。天界にもこんなお茶無かったたなあ」
じゃ、次は。訓練だよ。
「ここから、僕のターンですよ。キュルソン先輩、お覚悟を!」
「ふ、甘い、さっきのスイートパイよりも大甘だね。空間転移、幻影、反射?さてアタイが使った技はどれだい?」
ザキエルの渾身の光の矢が千本、キュルソンの視覚範囲を超えて全方位から迫る。が、何故か当たらない。
「まあ、当たらなければ、何だっていいのさ?明日までの宿題だよ!」
「ええー、そんなあ」
ザキエルは、己が御業で、全身ずたずたに切り裂かれ、少し後に再生された。
「あ、ありがとうございました。キュっ、先輩」
「はいよ、またな」
うっ、先輩、容赦無さ過ぎですよ。ザキエルは抗議の声を上げることもできずに意識を手放すと、白く光を放つ煙となって、ソローンの七二柱《しんちゅう》の壺に吸い込まれていった。
うん、キュルソンも少し甘いわね。
ソローンは、謎の微笑を残して彼方の街へ出かけて行った。