温泉付きの瞑想コース
バンコクでの一週間ほどバスキングをして過ごし、週明け直ぐの列車に乗ってタイの南にあるスアンモックというお寺に向かった。
そこでは10日間の瞑想コースが外国人向けに行われていていて、2年前にも一度行って結構気に入っていた。敷地内には温泉があり、ヨガができる場所や散歩して回れる場所などもあった。
今回この瞑想コースに来た主な目的は一年半ぶりにヨーロッパを出たのでアジアの空気に体を慣らすためと、心と体をゆっくり休ませる為に使おうと思っていた。と言うのも僕はルーマニアにいる時にパソコンを使って曲を作ったりウェブサイトを編集する以外には疲れるような事は何もしていないのに何故かずっと疲れていたからだ。
日本人がいた
瞑想コースの受け付けに行くと、そこでボランティアをしている日本人女性の方がインタヴューをしてくれた。すごく雰囲気のいい人で、一目見てこの人は信用しても大丈夫だなと言う印象を受けた。
受付中に彼女に質問されるなかで、僕は別のヴィパッサナー瞑想の手法を教えているゴエンカ師の瞑想コースに11回参加したことがあることを伝えると、彼女は僕にゴエンカ式の瞑想方法とスアンモック式の瞑想方法の違いを説明してくれ、スアンモック式だともう少しリラックスして集中出来るのでまた別の効果が得られると説明してくれた。
僕はゴエンカ式で瞑想しようと思っていたけど、今回は彼女を信じてスアンモック式で瞑想することに決めた。
ここはゴエンカセンターとくらべると初心者が多いのでがっかりするかもしれないと言われたけど、2年前に来てそれはもう分かっているので気にしないと伝える。
部屋に籠もる
コースが始まって二日くらいしてから気付いたのが、ここに来ている人達が本当に本当に瞑想の初心者で、一緒に瞑想していると邪魔されっぱなしだと言う事。
邪魔に感じるものを気にしないようになるのも瞑想の練習の一つだが、せっかく10日間集中している瞑想する機会があるのを無駄にするのもどうかと思い、受付してくれた日本人女性にグループ瞑想には参加せずに自分の部屋で瞑想し続ける許可を貰うことにした。
彼女は僕のことを信頼してくれて、快く許可してくれたうえに、このスアンモックの瞑想センターを始めたブッダダッサと言うお坊さんによって書かれたアーナーパーナ(呼吸観察)瞑想を解説している日本語の本をプレゼントしてくれた。
この瞑想法は超超簡単に言うと、呼吸をありのままに観察する事で集中力を高めて悟りに至ると言う手法だ。
三日目の昼過ぎからは部屋から出るのをやめて、外に出るのはヨガと食事と温泉のみ、ただひたすら部屋に籠もる。呼吸が鼻から出ては入るのをただひたすらありのままに観察する。ときには座り、ときには横になり、ときには眠りに落ちる。
16段階の悟りへの道
そしてアーナーパーナ瞑想(観息正念)の本を読み始めた。そこにはブッダの説いた16ステップの悟りへの道が解説されている。
僕はその一つ一つのステップを順に追っていった。
瞑想やらスピリチュアルな知識のあまり無い人からすると結構胡散臭く感じるのかもしれないが、僕は慣れているのでマリオのステージを一つづつクリアするかの如くステップを進んでいった。
一つのステップを終える度に次のステップはもっと難しくて今まで習ったことの無いものなんだろうと思ながら進んでいたんだけど、一つ、また一つとステップを順番にクリアしていくうちに気づいたら16の全部のステップをクリアしてしまった。
エッ、これで全部終わり?
僕はこれら全部のステップをずいぶん前に過去の瞑想体験で完了済みだった。
いつもそういった意識状態にいるわけじゃないんだけど、でもほとんどの時間をそういう意識状態で過ごしていた。
自分でもなんとなくは全てのプロセスを完了している事は分かっていたんだけど、今回一つずつ順番に確認してみて自分はすでにブッダの道に於いて覚醒していることを素直に受け入れることが出来た。
自分の能力を認める
それは僕にとって自分の能力を認めるいい切っ掛けになった。というのも僕は8年前にイスラエルで全宇宙と多次元世界と神との融合という強烈な霊的体験があったにもかかわらず自分が覚醒しているということを認めるのに抵抗があったからだ。
逆に言うとその体験があまりにも強烈すぎて、完全に受け止めるのに8年かかったと言うこともできる。
わかってもらえるかと思うが、自分が覚醒していると認めるには相当な勇気がいる。何様のつもりだ?と。
ましてやこうやってブログで公言するのには、なかなかの度胸がいるのだが、自分をありのままに表現すると言う僕の進む道に於いては避けては通れない所なので向き合っていきたいと思っている。
今では自分の感じている真実に対して抵抗なく居ることができ、純粋に自分の中の真実に従う事ができる。今までもそうしていたのだが常に100%というわけではなかった。それができるようになった事は今回の瞑想コースの中でも僕にとって最大のギフトの一つだったと思っている。
バックグラウンドプロセスの消化
もうひとつのギフトは充分に休んで深い思考を消化出来たことだ。
僕は9ヶ月ほど前にスペインのカナリア諸島にある洞窟に住んでいたんだけど、その時にチェコ人の悟りを開いた白髪の女性に出会い、その人のバイブレーションの影響ですごい覚醒経験をしていた。
彼女と共に過ごした時間のおかげで全てはありのままで完璧で、それぞれが覚醒に向かうプロセスをそれぞれのスピードで歩んでいることが体感の部分で納得できた。
一部の人はブッダやキリストのようにかなり早い時期に覚醒し、一部の人は覚醒までにはまだまだ何回もの輪廻転生が必要だったりする。でもそれを遅いか早いかで批判する必要なんかなくて、みんなそれぞれに完璧なタイミングでそれぞれのプロセスが起こっているということ。
全てがありのままで完璧だと言うこと。その事実を受け入れることで自分の中の善悪の判断がなくなり、善悪の判断が無くなったことで今までの行動基準が無くなり、足場を失って宙に浮いたような状態が続いていた。
僕はその深い理解を9ヶ月かけて消化してきた。それは僕の魂、意識、脳みそにとって大変なバックグラウンドプロセスだったので、ここ数ヶ月の間ずっと疲れていたのだ。今回このリトリートでそれを完全に消化する時間をもらったので、やっとクリアで元気に感じている。
もう一つの実証実験
今回の瞑想コースに参加したのには、さらにもう一つの目的があった。それは数ヶ月前に得た氣づきが本当かどうかを確かめる実証実験のようなものだ。
その氣づきというのは常々感じていた心の奥底にある微細なネガティビティに関してのものだ。
普段何か忙しく行動をしていたり、誰か友達やガールフレンドなどと過ごしていたり、お酒などで酩酊していたり、あるいは瞑想などして集中している時には感じないのだが、一旦一切の行動をやめてただぼーっとしていると心の奥の奥にうっすらとした不安のような不快な感覚が見つかる。
そして、その不安があるが為に行為をやめて、ただ、ぼーっとしている事が出来ず行動に追い立てられていた。
僕にはそのネガティビティが何処から来ているのかが分からなかった 。僕が考えていたのは 、それは人間として生まれてくることの条件として心の奥底に小さなネガティビティが植え付けられているのじゃないかというということ 。そしてそれは誰にもどうしようもないということ。 人間にできることは、ただそれをありのままに受け入れるということだけ。
そんな状態を何ヶ月か観察し続けて気づいたのが、どうやら彼女がいない時に感じる感覚である以上、それはやはり恋愛関係と関わっているらしいということ。
さらに詳しく観察し続けていくと、それは僕が持っている恋愛関係という概念に関わっているらしいという事がわかってきた。
そして気づいたのは、僕は恋愛関係を持つことのできる人はそれを持つことのできない人よりも優れた人間だという勝手な思いこみを持っていて、自分に恋愛関係がない時期に自分はダメな人間だと無意識の内に自己否定している事が心の奥にあるネガティビティの原因だということに氣づいた。
だが実際に改めてその考えに向き合ってみると、そんな物はただの資本主義メディアの洗脳で人間存在の本質的な価値はパートナーがいるかいないかなどで測ることなど出来ないという当たり前の事実に気が付いた。
僕が理解したのは誰もがありのままで完全に素晴らしく、その人の恋愛関係の状態やその人が何をやっているか、あるいはどうあるかなど何も関係ないということ 。もっと言うならば、その人が幸せか悲しんでいるかには全く関係無く、誰もが同じように、ただありのままで既に偉大なる存在だということ。
それじゃあ、自分の信念をパートナーが居ても居なくても自分の存在の本質的価値は何も変わらないという考えに書き換えれば心の奥にあるネガティビティは消えるのかどうか?というのが今回試してみたい実証実験だ。
もしこの氣づきが僕にとっての真実ならば、この瞑想コース中に何らかの答えが出るはずだ。違っていたとしてもまた別の氣づきが現れてくるはずだ。
それまで僕は日常生活が忙しくて、この考えが本当なのかどうか確認する術がなかった 。今回のリトリートはそれを確認するための完璧な機会だった。
実証実験開始
リトリートが始まってから9日目の日、僕は瞑想を含めて一切の行動をやめることを決めた。ただベッドの上で寝転ぶか座るだけ、何もしない。これといって何かを考えるわけでもなく、メディテーションをするわけでもなく、歩き回るわけでもなく、ただ何もしない。動くのはトイレと食事に行く時だけ。
意識的に無気力な囚人を演じているような感じ。
そして全く何もしないと言うことで気づいたのは、全く何もしなくても完全に落ち着いていて幸せだということ。ありのままで完全に満たされているということ。
長いことこんなに満たされた気持ちになることはなかった、前回は3年前だ。今までに何回くらいこれほど満たされた気持ちになったことがあるか考えてみた。僕は過去に7回ほどこういう経験をしている。すごくいい気持ちなんだけど高揚感ではなく、ただ落ち着いて平和な気持ち。
これで実証実験は証明された。僕の心の奥底にあったネガティビティは恋愛関係に対する自己否定が原因だったようだ。
瞑想コース終了
僕は完璧な状態でこのリトリートを終えることができた。文句なし、素晴らしいタイミングと流れで事が進んでいる。
沈黙の10日間を終えて、瞑想コースに参加していた旅行者同士で会話が弾んでいるが、僕はあまり人と話す雰囲気では無かったので、受付をしてくれた日本人女性にお礼の挨拶だけして、瞑想センターを出た。
僕は自分の鞄を持ち、歩いて10分ほどの距離にある僧院へ向かった。ここの僧院は無料で食事と泊まるところを提供している。ここでしばらくゆっくりして、深い瞑想状態から徐々に戻ってこようと思ったのだ。
待ち人来たる?!
受付に行って、滞在許可をもらおうと順番待ちをしていると、そこにヒッピー旅行者っぽい格好をしたアジア人の女の子が並んでいた。
その子は僕が瞑想コースに来るほんの数日前までフェイスブックで頻繁に会話していた僕の友人の月子さんによく似ていた。その友人はその時、強烈な覚醒のプロセスにあって、僕がチャットを通して精神面のサポートしていたのだ。
でも彼女は今頃カルフォニアの農家で働いているはずで、もしタイに来るつもりならフェイスブックでチャットしていた時に、そのことを僕に伝えているはずだ。
仮にタイに来たとしても瞑想コースに行くとは伝えたがタイの何処とは言っていないし、そもそもタイには腐る程瞑想コースがある。まさか僕を探し当てられるわけがない。
って言うか、カリフォルニアは地球の反対側だし。
だが、何処からどうみても月子さんにそっくりだ。受付に並んでいて後ろ姿しか見えないが、順番を待ちながら観察しているとその子がゆっくりと振り向いた。
なぜか分からないが、それはやはり僕の友人の月子さんだった!
なぜか分からないが、地球の裏側にいるはずのその子が今僕の目の前にいる!
僕達は叫びあい、ハグしあった。
驚きと混乱の中、僕はただ彼女を見つめていた。。。
彼女が言うにはその覚醒のプロセスがあまりにすごく、誰かに話さないと頭がおかしくなりそうで、同じ農場で働いている友達に話してもそんなぶっ飛んだ話が通じるわけもなく困っていた。
僕が精神世界の事に詳しい事を知っている月子さんは、フェイスブックを通して僕に何が起こっているかを何度か説明しようとしたが、それは文字で伝える事は不可能だと気づき、顔を見て直接話さないと伝えることはできないと思い、働いていた農家を辞めて飛行機に飛び乗り、地球の裏側まで僕を探しにやってきた。
彼女は僕がどこのメディテーションセンターに行っているのか知らなかったが、彼女の友人にタイの瞑想コースを何か知っているかと聞いて、そのファーストアンサーを聞いてぼくがここにいると直感してやって来た。
そんな訳で、アポなしで緊急に地球の裏側からやって来て、見事に探し当てられてしまった。
全ての物事は起こるべくして完璧に起こる。
つづく。。。
次回は、月子さんの覚醒のプロセスと過去生から現生への繋がりの話です。
(この記事は2016年12月26日に自身のブログに投稿した物を加筆修正してアリスに再投稿したものです。今後はアリスを中心に活動していこうと思っているので応援よろしくお願いします。)