ジャワ行きのローカルバスに乗った途端に状況はガラッと変わり今度は完全にリアルインドネシア。
これはこれで結構しんどかったりもする。
あれ程リアルなインドネシアの旅を望んでいたにも関わらず、実際にリアルなローカルカルチャーを体験すると気が引けてしまう。
まず、一切の外国語が通じない。
インドネシアの文化には文字が存在しないので、英語と同じアルファベットを使って言葉を表記している。
読むことは出来ても意味が全くわからない。
地名を読むことが出来るのがせめてもの救いだ。
長距離バスは、まあそれなりのクオリティーなんだけど、短距離バスは安い分、狭くてギュウギュウで遅い。
第三世界と言われるような国のバスは得てして座席が小さいが、インドネシアのバスは僕が経験したことのあるバスの中でもダントツに小さい。
チャイルドシートかと思うような座席の配置に、これでもかと人が押し込まれる。
日本人の"もったいない"と言う感覚が国連からエコロジー的に評価されたなんて話を聞いたことがあるが、その感覚をとことん突き詰めたらこうなりました、と言うようなバス。
僕たちは二人ともそれぞれの全生活の詰まったバックパックとそれぞれのハンドパンを持っているので、荷物の量がすごい。
その上、僕は腰を悪くしているので荷物をあまり担げず、相方の月子さんに助けてもらうばかり。
そんな狭いバスで丸々一晩かけてレインボーギャザリングの場所の近くのトゥルンガングンと言う街までなんとか向かい、そこから更に近くの町までバスを乗り継いで向かう。
夜行バスは寝不足でしんどい。
僕達が向かっているイベントは現段階ではシードキャンプと言ってメインのレインボーギャザリングが始まる前の準備段階なので情報があまり広まってなく、最終目的地までどうやって行ったら良いのかはっきりしないまま。
すでに何人かの友人がシードキャンプに入っているのでインターネットを介して連絡を取るが、相手は大自然の中にいるので返信など返ってこない。
どうするかはっきりせずに近くの町まで行ったら、なんと英語をペラペラに喋るインドネシア人の男性が出迎えてくれた。
今まで英語を話す人は無く、近くの町まで着いた後はどうしたもんかと考えていただけに、うれしい驚きだ。
彼が説明するには、ここから更にバイクで1時間行ったところにある村から更に1時間ほど歩いて山を超えたところにある、ジャングルの奥地のビーチでギャザリングの準備をやっているとのこと。
奥地具合が半端ない、期待が高まって来る。
レインボーギャザリングの反資本主義的な思想からして文明社会から距離がある方が面白いギャザリングになりやすい。
その奥地の村にも手伝ってくれている人がいるので家に泊めてもらったりも出来るとのこと。
ありがたい。
人情の擦れきったバリ島の経験の後に、こう言う地元の人の本物の優しさに触れると心が癒やされる。
一時間ほどその場で待っていると、彼が手配してくれたバイクがやって来た。
いよいよ奥地のジャングルに向けて出発だ。
自分の荷物を担いでバイクの後ろに乗る。
背中に全生活の詰まった重いバックパック、お腹側にはハンドパン。
まだバイクは出発してもいないのに、すでにバイクからずり落ちそうだ。
お尻が半分しか座れていない。
町を離れるとすぐにアスファルトの道路は終わり、砂利道と言うよりもむき出しの山肌の様な道になる。
出発してすぐに雨が降り始め、しばらくすれば止むかと期待したが、予想とは正反対に雨の勢いはどんどん増していく。
もうバイクは出発しているので戻るわけにも行かず、成るように成れと運を天に任せる。
雨は止むどころか激しさを増し、嵐の様相に。
って言うか、嵐なんて言葉じゃ足りないような猛烈な暴風雨へと変わっていった。
バケツをひっくり返したような雨、バイクが揺らぐような突風、耳元で鳴り響く雷鳴。
しかも、このタイミングで日が暮れていく。
勿論、街灯なんてある訳も無く、真っ暗闇のなかバイクの光だけを頼りに曲がりくねった山肌を登り降りする。
稲光の度に自分が真っ暗闇のジャングルを突き進んでいる事を再確認させられる。
山道はどんどん険しさと傾斜を増していき、登って降りて曲がりくねる。
ただでさえハードコアな山道が大雨で川のようになり崩れはじめる。日本人の感覚だと明らかに続行不可能な状況。
砂利道を滑り走りながら、洪水の中を突っ切って進む。
一体なんのエクストリームスポーツをしているのか?
しかもヘルメットも付けずに全財産を肩に背負ったまま。。。
僕は必死で椅子を掴んで落ちないようにしているんだけど、お尻が半分しか座れていないのと、激しい揺れで僕の手の握力にも限界が近づいていた。このままでは自分がバイクから落ちてしまう。
ドライバーにバイクを止めてもらい、荷物の持ち方を変更する。
ハンドパンを片方の肩に担ぎ、お尻半分前に詰める。これで大分荷物は持ちやすくなったけど、今度は肩に担いだハンドパンが滑り落ちそうで辛い。
大嵐の中、全身もすべての荷物も完全に水浸し。寒くないのがせめてもの救いだ。
必死にバイクに捕まりながら山道を一時間かけてなんとか村に到着した。
何度も何度も転けそうになったけど、一度も転けることなく無事についた。ドライバー達にとっては日常の一部なのかも知れない。
運転手からすると日常的な運転なのかも知れないが、僕からすると奇跡の旅路といった感じだ。
ちなみにこの時にバイクを握りしめ続けた事による筋肉痛は5日ほど続く事になる。
バイクの運転手にお礼を言い、大雨の中、運転してくれた分、少し余分にチップを払って帰ってもらった。
つづく。。。
次回は、びしょ濡れになった僕達をイスラム教徒の村人が介抱してくれ、食事と宿を無料で提供してくれ、さらにビーチまでバイクで送ってくれるという話。
インドネシア、バリ島のがっかり感とジャワ島の村人の美しさ3(現在020)
(この記事は2017年9月9日に自身のブログに投稿した物を加筆修正してアリスに再投稿したものです。)
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