村に着くと若い男の子がやって来て英語で話しかけてきた。こんなとんでも無いジャングルの奥地の村に英語を話す若者が居るとはさらなる驚きだ。
僕が君たちの面倒を見るからモスクでの礼拝が終わるまでちょっと待っていてくれとの事。
そう、ここはイスラム教徒の村なのだ。
(あとで分かるのだが、村の人口比率はイスラム教徒とジャワ教徒と半々らしい。)
その後しばらく待って、礼拝が終わったあとに彼が村の民生委員の家に連れて行ってくれた。
民生委員のPさんはこの村の近くでレインボーギャザリングがあると決まって以降、地域のお偉いさんたちからレインボーギャザリングの面倒を見る係りに任命されていて、やって来た旅人を家に泊めるのも彼の役目だった。
家に着いた僕たちは、大嵐でびしょびしょなので迷惑をかけたくないから外でテントを張って寝るよと伝える。
だが彼は言う、イスラムの伝統として客をもてなすのはとても大事なことで、外でテントで寝ると言う事は君たちが僕達を侮辱してるのと同じ事だからやめてくれと言う。
イスラム文化の最大の美しさの一つである異人へのもてなしと礼節という部分を感じる。
ここの村人は都会の喧騒からは完全に疎外されていて、バリ島はもちろん、ジャワ島の都会の人たちとも大分違っていた。
礼拝直後だったからかもしれないが、村全体に流れる雰囲気がすごく落ち着いていて互いに対する尊敬に満ち、それでいて人懐っこかった。
雨上がりの湿気が靄のように漂い、礼拝直後の雰囲気と大嵐を抜けてようやくたどり着いたという感動でなんとも言えない心地よさを感じていた。
村人の生活自体は質素で自然と密着している。林業とバナナ農園が主な収入源らしい。
大体の野菜類は村で自給自足で賄っているようだ。
家の裏では牛や山羊がいる。やはりイスラム文化だからか豚は居ないようだ。
料理は基本的に薪で火を起こしているみたいだ。独特の温かみは村の雰囲気だけではないようだ。
この村では全てのバイクが完全に山岳農業仕様に改造されていた。
やはりこれだけジャングルの奥地だと道路交通法などは意味をなさないようだ。
この村の人達は、僕達先進国からの旅人がレインボーギャザリングを通して体験したいと思っている助け合いや共有の感覚、親密さなどを普段の生活の中で既に体得しているようだ。
一般的にニュースで見るイスラム教徒は世界の問題児的な報道をされているが、それはもちろんコントロールされ誇大表現された情報だ。
実際のイスラム教徒の村人たちはといえば非常に幸せで人間的に高い徳を備えているというのが僕が実際に体験した感想だ。
モロッコを旅したときも似たような感じを受けた。
辺鄙な田舎の村でこのレベルの意識の高さを見ることの出来る国は世界を見渡してもなかなか無いだろう。
僕達が村についた当日はPさんの家に泊めてもらい食事までお世話になって、次の朝にはバイクでレインボーギャザリングの場所まで送ってもらった。
本来なら山道を腰痛持ちでありながら荷物を担いで歩くところだったので、本当にありがたい。
最後の道程は昨日の大嵐で山道があまりにもぐちゃぐちゃ過ぎてバイクでは行けないので荷物を担いで歩いていくことになった。
この村の人達は本当に親切で、ドライバーの人たちが荷物を運ぶのを手伝ってくれた。
山道を歩いていると、道の向こうの方から僕の名前を呼ぶ声が聞こえる。
見上げると、友人のアイルランド人のカップルがこっちをむいて手を振っていた。
彼らは僕がタイのパンガン島に居る時に遊びに来てくれて、ハンドパン専用のマイクを持ってきてもらっていた。
先進国からの友人が遊びに来るときはおつかいを頼むことがよくある。
その時は、じゃあまたレインボーで会おうね、と数日で別れて、今また再開したというわけ。
友人たちとの再開を祝いハグする。
話してみると、なんとまだレインボーギャザリングが始まっていないのにもう出るつもりらしい。
彼らははっきりとは言いたがらないのだが、昨日の嵐で人が何人も海で溺れて死にかけて、キャンプグラウンドの全てが水浸しで洪水になって、その上みんなが大喧嘩になって大混乱して、とにかくメチャクチャだから一旦ここから出たいとのこと。
昨日も大嵐だったけど、今後も別のタイプの嵐の予感。。。
次回は、レインボーギャザリングにたどり着くも、中身はぐちゃぐちゃで全く準備が出来ていない。腰痛を抱えつつも準備を手伝うという話です。
(この記事は2017年9月10日に自身のブログに投稿した物を加筆修正してアリスに再投稿したものです。)
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