
マミィさんに作っていただきました。マミィさん、ありがとう。
こんにちは、東果です。御朱印デビューさせていただきます。
みなさんがメジャーなところを回られていらっしゃるのでわたしは、
ただのマイナーでは面白くないので・・・
それなりに由緒や謂われがあるところを巡っていきます。
御朱印は期待しないでください。社務所が開いていない場合もあるので。
はい。では紹介いたします。
場所は、愛知県名古屋市緑区大高町にある、
ほぼ100%の方は知らないし、神社周辺に住まわれている方しかわからないような神社ですが、実は熱田神宮の元宮でもあり、熱田神宮を創祀(そうし)され、日本書紀、古事記に登場するお方が住まわれていた場所でもあり、そのお方を祀っておられます。地元では「おひかみさん」と呼ばれ親しまれています。
ここの神社、わたしの子供時代の最大の遊び場でして
何をしたかといいますと
・神域内で神木を切って、木の上にやぐらを組んで「秘密基地」をつくったけど、大人に撤去されたので斜面にほら穴を掘ってまた「秘密基地」つくる。壊されたらまた作る。
・本殿をよじ登り縁側で昼寝。見つかると逃げる。
・神聖な池に入って水遊び。以降、立ち入り禁止になった。
・その他まだまだありますが割愛。
と、まぁバチ当たりなことを散々していましたがとくに悪いことが起きたとかはありませんでしたが・・・大人たちには、いっぱーい怒られました。(笑
そして、結構やりきった感はあります。アハハハ・・・
そして、一番行きたくない理由が
もうね。見つかるとお茶を飲んで行けと捕まるし、いろいろと面倒なので姿を隠して行かなければならないのです。
なので
通報されてもいいんですけど・・・
許してくださいね。
誰か代わりに押してもらってください。
ファルコンがスーパーの帰り道に人目をさけながらお店にもどる気分(謎な例え)がわかりますw
では、行きますよ。
・交通機関・JR東海道本線
大高駅(おおだか)西へ徒歩40~50分ほど
・最寄りのインター
伊勢湾岸自動車道・大府インター
名古屋高速3号大高線・大高インター
一見、平らな平地に見えますが神社から東の大高城まで、ゆるやかな丘陵が続いています。
では、ご由緒いきましょう。
ご祭神は宮簀媛(みやずひめ)というお方で、わたしは姫さまとお呼びしております。以降、「姫さま」と書くことにします。
この姫さま、
として記紀神話に登場されます。
日本武尊は景行天皇(けいこうてんのう)の子で(所説有)、父に疎まれ無理やり九州・熊襲(くまそ)討伐や天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)またの名を草薙剣(くさなぎのつるぎ)とよばれる剣を持って東国・蝦夷(えぞ)討伐に行かされ、最後は伊勢国の能褒野(現在の三重県亀山市の能褒野(のぼの)という地で亡くなった、
そして、日本武尊が東征を終え草薙剣を置いて伊吹の山へ向かった場所がこの火上山(ひかみのやま)の氷上姉子神社なのです。
その後、一人残された姫さまはこの地で草薙剣を祀っておられましたが年齢を重ね、祀り続けるのが難しいとお思いになり熱田の地に社をおつくりになられて、そこに草薙剣を祀ったのが今の熱田神宮の始まりになります。
剣を祀ったあと姫さまがお亡くなり、住まわれていた跡地に氷上姉子神社を仲哀天皇(ちゅうあい)時代に建てたそうです。
記紀神話時代の話ですね。
そういうわけで、埋もれてしまいそうな神社ですが、
そのようなところなので
お写真に移りましょう
ピントがあっていなくてごめんなさい(ガクブルで狼狽中)
入り口です。この先に20台分くらいの駐車場があります。
由緒書き
本殿前にも鳥居。左側に手水舎と社務所。
平日なので参拝者は大体いません。休日は多少なりともいます。
よーし。ちょうど小雨だし、傘で顔を隠していこう。
(晴れていても傘で顔を隠したい(笑)
手水舎
ご本殿。手水舎の柱の陰から撮影。
私が子供の頃、高床式で伊勢神宮・内宮・御稲御倉を少し高くした社殿でした。今ではこのようにかわっております。
そして、しっかりと参拝。お気持ちは紙幣で納めました。
つまり・・・
それくらいしないと本当にまずい・・・
神社入り口の道を挟んで向かいにある元宮入り口。すこし登ります。
この先、わたしの元フィールドでございます。
脇に控えめな案内
みなさん、行ってください(笑)
神社北側にある斎田。皇太子もお田植に見えたことも。
斎田からそのまま北に向かい、この先に石造りの鳥居が・・・
あら・・・撤去されて交差点が2車線にまとめられ消えていました。
鳥居跡からすこし離れたところ。中央・奥が火上の杜
子供頃、神社周辺はこれほど家も建っていなく田や畑があり自然豊かな楽園のようなかんじでした。今ではその面影もなくすこし寂しいです。
小話その①
地名の由来と日本武尊がここに寄った理由。
氷上姉子神社の「氷上」と所在地の火上山の「火上」は同じ読み方ですが氷と火、なぜ属性が違う字になっているのか。
平安時代中期の延喜式神名帳には「火上姉子神社」と記載されており、現在の大高町は「火高の村(ひだか、またはほたか)」という地名だったそうです。
そして、ある時期にこの火高の地で火災が多く発生し、縁起が悪いということで「火高」を「大高」に、「火上」を「氷上」にかえたという謂われがあり、火上山はそのまま残ったようです。
ちなみに愛知県下では有名なDCMカーマの前身でカーマホームセンターはここ大高で誕生した企業です。たしかスーパーと薬局が一つの敷地にあったような記憶が・・・
話は戻りまして、なぜ日本武尊が東征に向かう時、ここに寄ったのか?
下図で説明しますと紀元前あたりの愛知県西部はこんな状態でした。
ちょっと字が小さいので図を詳しくご覧になられる場合は「新しいタブで画像を開く」で見ますと大きく表示されます。
上図はわたしが2年間ほど実地探索で調べてこんな結果になりました。古墳時代になると地図右側(東になります)の海岸線が多少海側に出てきます。
説明しますと
・青色=東征した時期に海があった場所、または海浜
・黄色=現在の主な河川の位置
・黒色=現在の海岸線・埋立地・埠頭のたぐい
・赤色=現在の地名・名称
氷上姉子神社は図、右下にあります。
海岸沿いに姫さまは住まわれていたようですね。
日本武尊は東征に向かう途中、伊勢に住まう斎王(さいおう)、叔母である倭比売命(やまとひめのみこと)に相談したとき、伊勢神宮にある神剣・草薙剣を授けられ現在の桑名市まで北に進み、そこから海を渡り火高の火上山に来たようです。
そこで巡り合ったのが姫さまで、簡単にいえば
と、迫ったわけですね。(某ALISISTAさんの似たような違うような、なんだかどこかで聞いたようなお話)
姫さまには兄がおり、そのお方も東征にお供としていくわけですが途中でお亡くなりになったそうです。
小話その②
愛知県西部・岐阜県南部には古墳時代を含め、その前後の遺跡が少ないのは岐阜県本巣市あたりまで海があり、そのあと濃尾(のうび)平野と呼ばれる地域は木曽(きそ)川・長良(ながら)川・揖斐(いび)川の三つの川の土砂で埋まり、三つの川は東へ西へと蛇行し、なにか作っても洪水などの水害できれいさっぱり消えてなくなったようです。
小高いところは津島市の一部くらいで昔から「津島(つしま)」と呼ばれていたそうです。むかしは島だったことがうかがえます。
津島北部の奥津(おくつ)神社(古墳)という神社から「三角縁日月銘獣文帯四神四獣鏡」などが発見され(現在は熱田神宮が保管)古くから中央の政治的つながりがあったようです。
小話その③
三つの川が今の位置になった理由があります。
上流から土砂が流れ込み徐々に堆積して平野になっていく過程で、木曽川は図の右側、長良川はほぼ中央、揖斐川は左に寄っていましたが、なにも障害物がないのであちらこちらに蛇行や合流を繰り返していたようです。近年のボーリング調査などで濃尾(のうび)平野の西部は、過去から現在まで年間数ミリずつ沈降していることがわかり、長い時間をかけて現在の位置に来たようです。また名古屋市の東部丘陵地帯もわずかながら上昇傾向にあるようで、それも要因かも知れません。
現在の愛知県西部・岐阜県南部の濃尾平野
そこにある神社の謂れや地形など見ていくと、色々な発見があってわたしは楽しくなってしまい、とことん追求してしまうのでいつも貧乏なままです。(爆
こんな感じで次回も進めようと思いますが、
それではまた。











