昨晩テレビを見ていると、素数ゼミについてやっていました。
アメリカにいるマジシカダと呼ばれているセミの種類で、13年周期、あるいは17年周期で大量発生するセミです。
それぞれ13年間、あるいは17年間地中で幼虫として過ごして、同じ年に羽化することで大量発生します。
なぜ13年周期または17年周期の素数の周期だけで発生するのかはいくつか説があるそうです。
そのうちのひとつの説では、
元々は様々な周期のマジシカダが存在していました。
12地中の中で過ごすもの、15年地中の中で過ごすセミもいたそうです。
マジシカダが出現して初期の頃は12年周期セミも、15年周期も、13年、17年みんながそれぞれ異なる年に大量発生を繰り返していました。
しかし発生周期を繰り返すにつれて発生年次が次第に重なるようになってくるのです。
例えば12年周期のセミと15年周期のセミは60年目に発生周期が重なってしまいます。そしてその後も60年おきにに同時に発生する年がやってきます。
周期が違うとはいえ同じ種類のセミなので交雑がおこり、その周期性が次第に希釈されて絶滅するのだそうです。
ですが13年や17年の素数の周期を持っているセミたちは、他の周期と重なる頻度が極端に少ないために、他の周期との交雑が起こりづらく現在まで残っているという説があります。
13年の素数ゼミと、17年の素数ゼミが同時発生するのは221年に1回です。
またもうひとつの説は、このセミに寄生したり捕食したりする天敵がいるという説。
かりにこの天敵が3年周期、4年周期で発生する種だったとすると、12年周期や15年周期のセミは天敵の発生周期と重なりやすく絶滅してしまったという説です。
いずれ説の場合でも、素数の周期を持っているセミは他の周期ゼミとも天敵とも発生周期が重なりづらく、巧妙に生き残ることができています。
素数というのがただの数学的な概念を超えて、自然界で大きな意味を持っているというのはとても美しいと思います。
以前からなんとなく素数に魅力を感じていました。
ロッカーや下駄箱などの番号はなんとなく素数を選らんでしまいます。
ホテルの部屋番号が素数だと何かいいことがあるような気がしていました。
素数が持つ割り切れない潔さにひかれているのかもしれません。
あるいは宇宙の最小単位である素粒子やマントラに共通するなにかを感じるからなのかもしれません。
そして瞑想も素数と相性がいいような感じがます。
瞑想は意識の素因数分解のようなものかもしれません。
素因数分解をするように、人間のマインドがいつの間にか複雑化してしまった意識の複合体を解体していき、一番シンプルな素数の次元まで解体していくようなプロセス。
そのプロセスの中で、苦しみの多くの部分はマインドで作り上げているということをはっきり気がつくこともできます。
様々な素数を組み合わせて整数が成り立っているように、マインドが様々なシンプルな要素を組み合わせて複雑な論理を作り上げるような感じ。
その多くの論理の世界を、素因数分解するように解体していきます。
分解されていくにつれて、論理の副産物である善悪、正邪の概念、執着やこだわり、信念みたいなものも解体されていきます。
少しずつこだわりや執着が落ちていって、最後に残るのは意味づけをこえたシンプルなあらわれの世界。
数ある周期を選んだセミの中で生き残ったのが素数ゼミという事実は、色々なことを示唆してくれている気がしました。
合成数(非素数)のような論理で構築される複雑な心の要素を解体していって、意識の内側を素数のようなシンプルな要素にしていくと、素数ゼミのように周囲の環境からの干渉を受けづらくなるでしょう。
社会や周辺環境の価値観に同調してしまって、いつの間にか環境に埋もれてしまう、あるいは社会環境や日常の出来事に過剰に反応して対立するといったことも少なくなります。
必然的に無理のない形で自分らしく日々を過ごせるようになるのかもしれません。