10年ほど前ザンスカールの人たちの生活を描いたこの番組を見てザンスカールに興味が湧いてきました。
ザンスカールの普通の家庭の雰囲気や人々に憧れました。
ラダックに行った時には絶対にザンスカールにも行こうとお思っていました。
ラダックからザンスカールに行くのは約二日の行程。
かなりの遠回りですが、カルギルというイスラム教の街を通るルートでしかザンスカールに行くことはできません。
初日はレーから西へ7時間ほどのカルギルの街まで行きます。
この日も雲ひとつない快晴。
強烈な太陽を眺めながら西へ向かいます。
道中以前も訪れたラマユル寺院を通過します。
カルギルに向かう途上のムルべクの村には巨大な弥勒菩薩像があります。
この像は7世紀に作られたもので、イスラムのカシミール文化の影響を強く受けています。
この地方の複雑な状況を大きく象徴するものです。
7時間ほどでカルギルの街に到着しました。
渓谷の中にある中規模の街
女性たちはみんな色とりどりのスカーフをかぶっていてとてもカラフル
子供達はフレンドリーです
女学生は白のスカーフ
このカルギルという街は、ラダックが位置するジャンムー・カシミール州の混沌とした状況を象徴するような街です。
この地域は本当に複雑な地域で、ジャンムー・カシミールもラダックも以前は独立した国家でした。
しかし19世紀にこの2つの地域がイギリスによって併合され、ジャンムー・カシミール藩王国という国になりました。
藩王国とはイギリス領ですが、自治権を認められた地域のような状態です。
1947年にインドとパキスタンがそれぞれが別々に、イギリスから独立することになりました。
そんな状況で、ラダックを含むジャンムー・カシミール藩王国はインドに編入されるか、パキスタンに編入されるかの選択を迫られました。
ジャンムー・カシミール藩王国は大多数の人がイスラム教徒でしたが、首長がヒンドゥー教徒という特殊な環境のため、インドに組み込まれる選択をしました。
それによって現在(というか7月までは)は、インドのジャンムー・カシミール自治州という扱いで、自治権が認められていました。
これまでもインドに所属していることに納得のいかないイスラム教徒によって、多くの紛争やテロが起こってきました。
1999年にはカルギルを舞台にインド軍とパキスタン軍が衝突して、多くの死者が出ました。
この地域は複雑な宗教事情、大国のエゴが入り組んだ非常に混沌とした地域です。
これがイスラム教が多数を占めるこの州の中に、仏教徒が中心のラダックが紛れているような変則的な地政配置になってい流理由です。
そのため予算の分配などの面でラダック地方は自治政府からかなり不当な扱いを受けてきたそうです。
しかし8月の上旬に状況が一変しました。
急遽インド政府がジャンムー・カシミール州の自治権を剥奪して、インド政府の直轄領とする決定をしました。
さらに今月下旬には、現在のジャンムー・カシミール州が2つに分割されて、ジャンムー・カシミール地区とラダック地区の2つに分かれる予定になっています。
ラダックの大部分の人たちはこの決定を大歓迎しています。
しかしカルギルの人たちはまったく逆です。
イスラム教徒がほぼ全人口を占めるカルギルは、地理的な理由でジャンムー・カシミール地区ではなくラダック地区に所属することになります。
カルギルに住む人々にとっては、自治権が剥奪されただけではなく、その上さらに仏教徒が中心のラダック地区に組み込まれるのは不本意でしょう。
イスラム教徒にとってはそんな決定が認められるはずもなく、現在たくさんの抗議デモが起こっています。
自分がカルギルの街に滞在している間も、人々が荷台に乗ったトラックが何台も、奇声をあげながら街中を移動して、インド政府の決定に抗議をしていました。
中には全身黒づくめのローブを着てハチマキをしたグループもあり、かなりの恐ろしさを感じました。
この地域の複雑さを肌で感じながらこの日はカルギルで一泊しました。
翌日カルギルから南東に12時間ほど進みザンスカールの中心街パドゥムまで向かいます。