ジャライ族の村に入って調査をした結果、今後のジャライ族との関わりのひとつとして3つの村の子供達が共通で通える小学校を村人たちが自分で建設することになりました。
詳しい経緯はこちらをご覧ください。
この学校は公立の学校であると当時に、村の大人たちにも読み書き計算を教えたり、村人たちが集まって集会ができるようなコミュニティセンターの役割も持たせます。
そのため村人たちが自分で建物を建てることによって、みんなにも当事者意識を持ってもらおうと意図しました。
まず3つの村人が集まって学校を建てる場所を3村共有の土地から選定しました。
そのうちひとつの村は川を挟んでいるため、子供達は手漕ぎボートに乗って登校します。
建設予定地の竹や木を切るところから始めます。
大人も子供もみんなお手伝いします。
そして土地を燃やして一気に更地にします。
その土地に少しずつ木材を運び込み、建物を建てていきます。
学校建設と並行して、ジャライ族の若者3人に奨学金を払い公立の教師トレーニングセンターに派遣して、村の学校専従の先生になってもらうことにしました。
村人が建設作業をしてくれている間、私たちスタッフはカンボジアの教育局と交渉して学校設立の許可をもらう必要がありました。
そしてそれに先立ってまずカンボジア国内で正式にNGOとしての活動するための協定を外務省と締結しなければなりませんでした。
そのための書類作りを行いました。
何回もカンボジアの外務省に出向き、その度に書類のダメ出しをくらってしょぼんとしたりそんな日々を過ごしました。
あまりにもダメ出しを食らうので、最終的に袖の下をいくらか渡したらニヤニヤしながら書類を受け取ってくれました。今ではいい思い出です😅
外務省のやり取りだけで1年以上かかりましたがようやく協定を結ぶことができて、地元の教育局からも学校建設の認可がおりました。
あとで振り返ってみるととても楽しい時間なのですが、当時はプロジェクト全てを通して全く思い通りにことが進みませんでした。
ジャライ族の村人は日常的に約束を守らないし、毎回違うことを言ったりします。もちろん彼らに悪気があるわけではなく、ただ単に時間の概念がほとんどなかったり、”約束は守らなければいけない” という観念を持っていないだけです。
外務省などの役人は融通がきかない上に、やがらせをしたり、袖の下を要求してきます。
はじめはこんな状況の中でいつもイライラしたりストレスを溜めていました。
ある時、ジャライ族の人に対しても、役人たちに対しても、こうしてほしいという期待をすればするほど、それと反対の対応をされることに気がつきました。
そしてある日ストレスマックスの中で、”もうどうでもいいや!”という気持ちになりました。誰にも何も期待しないことにしました。
ジャライ族の人にどんなに約束を破られても、役人に理不尽なことを言われても、気にしないことにしました。
そして自分はただできることをやって、あとのプロセスは全てゆだねて楽しもうという気持ちに変わっていきました。
不思議なことに、気持ちがそういう風に変化したあとは日常が楽しくなっただけでなく、プロジェクトがスムーズに運ぶようになりました。
”周りの状況に抵抗しないで起こることを受け入れよう” という本当に小さな気持ちの切り替えが、大きな変化を起こしました😊
それ以降流れが加速して行き学校も完成して行きます。