先日森を歩いているとセミの幼虫に出会いました。
セミには子供の頃から大きな思い入れがあります。
小さい頃は昆虫少年で、夏になると近くの神社に行って毎日セミを捕まえていました。
毎日10匹以上はアブラゼミをとっていたとおもいます。
とってきたセミを家のカーテンにつけていました。
当然家の中は騒音で大変なことになります。
そんな日々を過ごしていました。
ほとんどはアブラゼミですが、ときどきミンミンゼミやツクツクホウシの声が聞こえてくると心が弾みました。
鳴き声をたどりながらセミがいる木を探り当てていました。
一度見つけるとほぼ100%近い確率で捕まえることができました。
ある日セミの幼虫が土の上を歩いているのを発見しました。
早速家に持ち帰ってカーテンにつけて観察しました。
しばらくすると期待通り羽化が始まります。
背中が割れて、その中から真っ白な成虫が少しずつ殻から出てきます。
やがて抜け殻に捕まったまま、縮んだ羽が少しずつ伸びていきます。
その様子は本当に美しいものでした。
数年間土の中だけで過ごしてきたセミが、羽化した後は自由に空を飛び回ることができます。
わずか数日の間ですが。
メタモルフォーゼ、変態の瞬間。
幼虫が過ごす数年間の闇の時期に大きな意義を感じます。
生産的なこともないただ無為に地中に籠る時間。
大きなエネルギーを蓄積する時間。
そして大空へと自由に飛び立ちます。
こんな見方もできる一方で、大空を飛び回る成虫の時期と、闇で過ごす幼虫の時期どちらも同等の意義を持つような気もします。
小さい頃に遭遇したこんな光景のひとつひとつがその後の人生に大きく影響を与えています。
先日久しぶりにセミの幼虫を見たとき、小さな頃見た羽化の瞬間を思い起こしました。
懐かしいようなとても新鮮な気持ちでした。
わずか瞬きの瞬間に世界が変わる。
そしてセミが地中で過ごす時間が、現在のコロナ禍の時期と重なって感じます。
コロナが収束した後はどんな世界になるのだろう。
世界を見る景色がコロナ以前とコロナ後では全く違ったものになるような気がします。
なぜかアセンションなんていう言葉もイメージに湧いてきます。
セミを追いかけていた子供時代のワクワクが蘇ってくるようです。