カンボジアにはとっても悲しい過去があります。
それはポル・ポトによるカンボジア人の大虐殺。
1970年代、ポル・ポト率いるカンボジア共産党(クメール・ルージュ)が政権を獲得して、カンボジア人数百万人を虐殺しました。
ポル・ポトは本名サロト・サルと言います。
カンボジアの一般的な農家に生まれました。
そんな彼は、一般社会にいろいろな生きづらさなんかを感じていたのかもしれません。
やがて中国に留学をして共産主義を学びます。
ある時ポル・ポトはラタナキリを訪れてジャライ族に出会いました。
人間と動物、自然が共存して、すべての富を分け合うジャライ族に、彼が目指す”原始共産主義”の理想像を見ました。
原始共産制のモデルは先住民族の狩猟採集社会に見られるものです。人々の間に階級は無く、食料や衣服などの全てが共有されている平等な社会様式。
原始共産制の社会では、全ての人間は食料の獲得に従事し、狩猟や収集により産み出されたものを全員が共有します。原始的な社会では産み出されたものは即座に消費されるため、余剰な富は産み出されず、衣服などの個人的な物品を除けば私有財産はほとんど存在しません。
ジャライ族との出会いに触発されて、ポル・ポトはラタナキリを拠点に、共産主義の活動を始めました。
ジャライ族の若者を自分の専属ボディーガードにしたりしました。
カンボジアの多数民族であるクメール人のことは信用できなかったのですが、ジャライ族のことは信頼していたそうです。
やがてポル・ポト率いる共産党(クメール・ルージュ)は、カンボジアの政権を奪取します。
政権奪取の後、彼が行った政策は狂気に満ちたものでした。
首都プノンペンに住んでいたカンボジア人を全員、農村に送り返しました。
その頃プノンペンは一時的に共産党関係者以外誰もいない廃墟状態になりました。
男女別に集団生活をさせて、家族をバラバラにしました。
そして、すべてのカンボジア人を農業か公共建設事業に従事させました。
宗教を禁止して、すべてのお寺や文化財を破壊しました。
通貨を廃止しました。
教育を廃止しました。
彼のやり方に異を唱える数百万人のカンボジア人を虐殺しました。
自分の理想を追求するためには人命を犠牲にしても厭わないという狂気に取り憑かれていました。
1979年ベトナムの介入もあり、ポル・ポト政権は終焉を迎えます。
ポル・ポトはジャライ族の生活を見て彼の理想像を見たと思い込んでいたのですが、ジャライ族は決して特定のイデオロギーを持って、生活様式を決定していたわけではありません。
ジャライ族の人たちは、”私”という個の意識が現代人よりも少ないのだと思います。
周りの人々、動物たち、植物たち、川や森そして精霊たちと、特に意図しなくても”私”というバリアを張ることなしに当たり前のように交流していました。
”個” というバリアがコミュニティ内に少ないと、自動的にその社会は流動性に満ちたものになります。
ポルポトは、ジャライ族の生活を表面的に見て、所有や階級がないなど自分の主義主張と合致する部分だけを捉えて、政権を取った後の政策の指針にしてしまいました。
制度という枠に全ての人をはめ込むことによって、その制度の外にあると判断したものを強烈に排除することで、宗教や経済が担っていた”流動性” を社会から完全に抹殺してしまいました。
イデオロギーが極端になってしまうと、それ自体が大きなバリアになって、中央集権的で一神教に近い性質を持つようになるのかもしれません。
ジャライ族が持つ流動性とは全く対極のものでした。
ジャライ族とポル・ポトの関係は、人間が陥りやすい狂気をわかりやすく教えてくているように感じました。
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