東京都八王子市にあるWeb制作会社がインスタグラムで素手のトイレ掃除を「花嫁修行」と紹介して炎上しました(「素手のトイレ掃除を「花嫁修行」と紹介 WEB制作会社のインスタに批判...何のために?社長の真意を聞いた」J-CASTニュース2021年4月16日)。批判が殺到し、投稿を削除しました。
素手とパワハラには親和性があります。埼玉県の中学校でも生徒に素手で便器掃除させ、それを美談に仕立てていました(サンドラ・へフェリン『体育会系 日本を蝕む病』光文社新書、2020年)。藤嶺藤沢高校硬式野球部は2020年9月、男性監督が練習中に1年の男子部員に素手でノックを受けさせ、全治3週間の怪我をさせました。
わざわざ道具があるのに素手で行う神経が理解できません。竹槍でB29を撃墜する昭和の精神論根性論です。21世紀になって、昭和の価値観のままアップデートできない人は哀れです。他人に影響を及ぼす立場にいるならば迷惑かつ有害です。
この背景にはアウトプットで成果を見るのではなく、苦労して頑張ることに価値を見出す昭和の頑張リズムがあるでしょう。余計な制約下で成果を出すことと、余計な制約なしで成果を出すことのどちらが優れているかと言えば後者です。
提供する成果の価値としてはどちらも同じであるならば無駄なことをしない分、後者の方が生産性は高いことになります。ところが、昭和の精神論根性論では前者の方が頑張っているとして前者を評価してしまう傾向があります。
無駄な制約や非効率な制約を押し付けられても、それを乗り越えて通常以上の成果を出すことが優秀ではありません。それは単に相手に負担や我慢を押し付ける無能公務員的体質にとって好都合というだけです。それに対応できてしまうことは、むしろ恥ずかしいことでしょう。そのようなものが評価されるのは忖度公務員の世界だけです。無駄な制約や非効率な制約を押し付けられたら、その分は成果がマイナスになることを認めることが公正です。
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埼玉県警察不祥事