ミスドにおいて一度目は必然である。しかし二度目はそうあるものではない。特に期間限定はチャレンジとしての意味を失えば二度目はない。それは一見さん冒険者では顕著でありその結果こそがシリーズの定着や復活への足がかりとなるのである。
私のような定点観測型では二度目は確認作業になる。一つは味ブレつまり初回と二回目で味の変化を知ることにある。多くのミスドドーナツは販売初期が一番美味しく徐々に味が落ちる。個人的には材料の一括仕入れの結果が一点初動以降の回転の悪さが一点でそういう結果となっていると考えるがこの初動を逃した人々は一生初回の美味しさにすら触れることはないことに注意しなければならぬ。
スイートポテトは二度目であるがどうだろうか。今のところ一度目との差は大きくない。劣化の差が出るのは味であり見た目に出るほどのものは初動でよほど不評がたまり消化されないものだけである。
二度目の実食は十分な成果が得られた。それは劣化でも成果と言えるものであるが今回は良い成果である。つまり変化はほとんど感じられなかった。とはいえ間隔が短く感じられ方にも限界があるため評価はゆるいものとなることを記録読者にはご容赦願いたい。
スイートポテトの所以はそのクリームにある。僅かなトッピングだけでそれらしさを出しているのはクリーム自体の上手さもあるが胡麻の存在が大きい。少なくとも存在感のあるプチプチと香りそしてそこに合わさるクリームが見事にスイートポテト然としているのだ。
我々はあるものを作ろうとする時いつもどおりの道からそれることはむずかしい。また食べるときに新しい存在を認めることも難しい。そこには美味いかどうか以前に認められる必要があるのだ。このスイートポテトも認められないかもしれぬ。しかし一度飛び込めば一度認めればこれは十分なスイートポテトの一案となることも可能である。
空間を調整するのは難しいものである。僅かな差を見極めさじ加減を加える必要がありしかもそれは自分の感覚ではなくその場にいる他人たちの顔色を基準にである。残念ながらこんかいのミスドは暑い管理者たちの感覚がついてきていないのである。もしここにAIを導入すれば常に一定の冒険ができるようになるだろうか。しかしそれは幸せと言えるであろうか。冒険にとってこの空間管理もまた記録すべき点である。