通信対戦は良い。
配偶者のいない私でも、誰かと繋がることができる。
だからといって、全く寂しくないというわけではない。折入って、寂しい。寂しいが、結婚は人生の墓場であると誰かも形容していた。
縁という鎖で墓場まで繋がれてしまうくらいなら、時は大インターネッツ時代、見知らぬ人と一つ屋根の下ならぬ一つワールドワイドウェブの下、私はクリスペるのだ。
未婚者の、負け惜しみである。
ボンバーマンというゲームがある。
ご存知かとは思うが、ボンバーマンは爆弾を置いて壁を爆破し、そして敵を爆破するゲームである。一人用プレイモードもあるが、ボンバーマンの醍醐味はやはり友だちとの対戦だろうと思う。
インターネットが普及していなかった時代、かつての少年たちが友だちんちに集まって、ソーシャルディスタンスもお構いなしに押し合いへし合いする様子が頭に浮かぶ。
リアルに会ってでしかゲームで対戦できない時代だった。
狭い部屋の中、ギュウギュウいっぱいになって、子どもたちはボンバーマンに勤しむ。爆弾で壁を壊し、アイテムを拾い、自身を強化しながら隣にいるライバルと対峙するのだろう。時に勝利し、時に大敗し、時に自滅するのが目に浮かぶ。
当時主流だった縦横比4:3のブラウン管TV、小さな画面の中の大きな激闘に、少年たちはキャッキャウフフと心を踊らせたであろうと想像する。
“思う”とか”目に浮かぶ“とか”想像する”とかいう文章表現には訳がある。
私には、友だちがいなかった。
ポケットモンスターというゲームがある。言わずもがな、大人気ゲーム『ポケモン』である。
初代ポケモンは発売当初、同じソフトなのに2色に分かれているという斬新さとは裏腹に、ケチくさい商法と叩かれることもあったが、ご存知いまや言わずと知れた国民的ゲームであり、ビデオゲームにおける“通信”という概念を確立させたコンテンツでもある。
いまでこそインターネットを介して、文字通り世界中の人々とポケモン対戦やポケモン交換ができるようになったが、当時はモンスター交換するにもゲーム機同士で通信をするための通信ケーブルなるものが必要だった。
ケーブルは単価1500円くらいして、週刊少年ジャンプが200円ポッキリで売られていた時代だったから、現在の物価なら2000から2500円程度の価格帯だろう。
2500円というと、子どもにとっては大金である。あと1,000円足せば安売り新品ゲームソフトが1本買えた。
そのゲームソフトだって誕生日やクリスマスに買ってもらうか、お年玉をやりくりして手に入れるしかない。たかだかケーブルに大金をはたけるはずもなく、そしてしょっちゅうゲーム機を隠されていた私は、特別な日でもないのに親にねだったところでまず買ってもらえない。
そもそも、ケーブルごときねだって買ってもらえるものなら、ゲームソフトを頂戴する。
同様の事由が周りの子ども達にもあったに違いない。通信ケーブルを持つ同級生は、それはそれはヒーローだったろうことは想像に難くない。
そのヒーローの所持する通信ケーブルを以ってして、少年たちはキャッキャウフフとポケモン対戦やポケモン交換に心を踊らせただろうと妄想する。
そう、妄想するし、そして今思えば、私に通信ケーブルは必要なかった。
“想像に難くない”とか”妄想する”とかいう文章表現には訳があるし、今思えば私に通信ケーブルが必要なかったのにも訳がある。
私には、友だちがいなかった。
時は経ち、いまやNFT(ノンファジブルトークン)である。BCG(ブロックチェーンゲーム)である。
そうして私が最初に出会ったそれが、クリプトスペルズであった。
プレイし始めて、私は早々にクリプトスペルズの虜になった。
ログイン初日から数ヶ月の今に至るまで、1日たりとも遊ばない日はない。TCG(トレーディングカードゲーム)すら初めての私にとっては、何もかもが新鮮だ。
もちろん対戦はインターネットを介したものであり、ゲーム内マーケットでカードの売り買いもできる。私のようなボッチには優しい仕様だった。
そう、少年時代の私はいないのだ…。友だちがいなくても、大丈夫なのだ…!
もちろん、クリプトスペルズには酷評もある。
例えば「クリスペは札束で殴るゲーム」だと揶揄する人もいる。おっしゃるとおり、ランクマッチやリーグ戦で上位に食い込もうと思えばカードを一式揃える必要があり、十数万から数十万円は必要だ。またレジェンドカードに至っては100万超えも珍しくはない。
それでも、金を払ってなおガチャシステムで欲しいカードが出るかもわからないという、今に至るまでの非道なソーシャルゲームとはわけが違う。
指定された金額を払えば必ず欲しいカードは手に入るし、なによりその価値はブロックチェーンによって守られている。
そして考えてみてほしい。金を払った方が強いのは当たり前である。
金をかければ強くなれるとはいえ、私は対人戦においてブロンズデッキでレジェンドカードをぶっ倒したことがあるし、TCGである以上、無課金でも強い人はマジで強い。
それから、たとえその時はブロンズデッキしか組めなくとも、月に1度くらいはレアカードが貰え、中には強力なものもある。クリスペのキャッチフレーズにもあるように、まさに遊んだ分だけ資産になるのである。
フリーズに関しては、まぁ酷い。酷いことこの上ない。
スペル選択で固まり、
ターン開始で固まり、
ターン終了で固まり、
カードを場におけば固まり、
攻撃すれば固まり、
攻撃されても固まる。
ゲームが固まった瞬間は「まさか」とプレイヤーすら固まる。
二戦連続フリーズも珍しくない。
ことあるごとにフリーズし、止まっているにも関わらず、止まることには節操がない。通信対戦ゲームとしては致命的で、フリーズに呆れ果てて引退する人も数多くいる。
私も一度、心が折れかけたことがあった。フリー対戦ならまだしも、ランクマッチやチャレンジカップといった大事な大事な大一番までもお構いなく場を凍らせ、プレイヤーを凍らせ、容赦なくポイントを奪っていく。
この記事のタイトルどおり、慈悲は無いと言ってもいいだろう。
対戦環境にしても思うところがある。
とかく青が強い。強すぎる。「だったら自分も青を使えばいいじゃないか」と思われるかもしれないが、みんな青だったらいろいろと成り立たなくなってしまうし、しかも強い青の戦術はほぼ定型である。
同じようにプロスピで、同じようにスノドラで、同じようにハンパディダンプティである。ポケモンのレート戦でみんながみんなガブリアスを投げてくるようなものだ。
…ハンプティダンプティは私怨が深いような気もするがしかし、ハンプティダンプティは許さない!絶対にだ!
私は『ハンプティダンプティ撲滅委員会』を設立し、ハンプティダンプティを買い占め市場に出回らないことで被害者をこれ以上増やさないようここに誓い、決意を新たにした。
なんだか話がそれてしまったが、前述のようにクリプトスペルズにはさまざまな問題があり、無慈悲である。無慈悲ではあるが、やはり私は戻ってきてしまうのだ。
純粋にゲームとしてのおもしろさもそうだが、なによりクリプトスペルズの運営陣が尽力していると私は感じられる。
彼らはケースワークな応対をし、通信環境改善計画の折には個別にメッセージが送られてきたこともある。私は日頃からフリーズに関してボロクソにツイートしていたので、そのメッセージが届いた時には「ついに消されるのか」と腹をくくったが、しかしその内容は通信環境を改善したいから協力してくれという旨だった。
私は思った。この運営の姿勢なら、クリプトスペルズには未来がある、と。
今あらためて、私は声を大にして言う。クリプトスペルズは神ゲーではないがしかし、良ゲーではある。
今日も私はクリプトスペルズを楽しむ。
フリーに潜ればボコボコにされ、ランクマッチに潜ればボコボコにされる。しかしここには対戦相手がいる。少なからず私と遊んでくれる人がいるのだ。小学校の体育の時間のような「はい二人組つくってー」などという掛け声はない。なんだあの合図は。拷問か!
それでも、生徒数が偶数ならまだ話はわかる。残った者同士でくっつくことができるからだ。だが能無し腐れ教諭は生徒数が奇数でも二人組を作らせようとする。阿呆か!奇数を2で割ったら1余るんだよコンチクチョウ!
場に奇数しかないのに竜化させようとするリュラのbotか全く!
私はクリスペにおいて勲章を集め、デイリーチャレンジを埋め、月間チャレンジを埋め、そうして全てを埋めるのだ。
そう、あの日の屈辱さえも埋める。ついに私は自身を解放して…
ようやっと、そしてはっきりと私は思い出した。
私には、友だちがいなかった。
やはり、無慈悲である。
いきかむでした!
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