もうブームというより定番となった「タピオカミルクティ」。
皆さん、タピオカは台湾スイーツの代表格というのは知っていても、その名前の由来はご存じですか?
日本がまだ台湾を統治していた昭和初期のこと。
台湾でこのタピオカに関わり深い日本人が日本軍の軍医として勤務していました。
彼は和歌山県出身の農家の出身で、苦学して医者となりました。
まだ当時は第二次世界大戦に突入しておらず、彼のもっぱらの仕事は病気になった兵士の診察でした。
中でも東北地方や北海道など寒い地方から来た兵士たちが台湾の暑い気候に慣れずに体調を崩すことが多く、その対応が多かった、といいます。
体調を崩す兵士たちに人気だったのが、彼とコンビを組んでいたある女性看護師の作る「スイーツ」でした。
彼女も日本からやってきており、得意なスイーツは「冷やし白玉ぜんざい」。台湾ではなかなか手に入らなかった白玉粉を軍の物資を運ぶ本州からの便で届けてもらっていたといいます。
兵士たちは体調がすぐれなくても、冷たく甘く、つるりとした口当たりの「冷やし白玉ぜんざい」を我先にもらって、体を適度に冷やし、甘さで体力を回復させ、なにより日本の食材を食べるという喜びからみるみる元気になったといいます。
彼女が作る「冷やし白玉ぜんざい」は日本軍の施設内で働く現地台湾の人々をも魅了しました。
彼女は軍の物資とはいえ、兵士にだけ提供するのではなく、軍で働く台湾人の人々にも分け隔てなくふるまいました。息子が風邪をひいて体調が悪いという台湾人職員の女性がいると、温かい白玉ぜんざいを作って持って帰らせたりしたといいます。
おのずと「冷やし白玉ぜんざい」は軍施設周辺でも話題となり、多くの台湾人から看護師の彼女に作り方を教えてほしい、という要望が出てくることになります。
白玉粉が簡単には手に入らない台湾で、白玉を作るのは非常に難しく、高価になることから、片栗粉を使った白玉を教えるに至ります。
当然、当時の台湾では片栗粉も多くあったわけではないので、代用品としてキャッサバからとれたでんぷん粉を使って白玉を作ります。
ぜんざいも同様、小豆が大量に必要になりますが、これも台湾ではなかなか入手が難しく、そこで砂糖をたくさん溶かし込んだミルクで代用しました。
この「ミルクキャッサバ玉ぜんざい」、あっためても冷やしても、「冷やし白玉ぜんざい」に勝るとも劣らぬおいしさと滋養、さらには作りやすさも手伝って、軍周辺から口コミで台湾全土に広がった、というのです。
キャッサバ玉は時代を経るにれ白玉より小さくなり、甘いミルクはお茶文化と言える中華文化に沿ってミルクティーとなっていきました。
彼女が作るこの「ミルクキャッサバ玉ぜんざい」は、軍周辺の台湾の人々は「シラタマゼンザイ」と言っていたそうですが、非常に長く、覚えにくいうえに日本語的発音が多く、「あの、あれ、日本軍ナースの、おいしいやつ」という感じだったそうです。
ある日、一人の台湾人女性が、「ミルクキャッサバ玉ぜんざい」で幼い息子が元気になったお礼を彼女に言いにやってきました。診察室の前で軍医と看護師と談笑しているときに、このネーミングについて話題になりました。
その女性は、息子が「シラタマゼンザイ」と覚えられないし、本当においしいから、いろんな人にも教えたい。それにはやっぱり簡単な名前が必要だ、というのです。
そのとき、軍医が女性看護師に言いました。
「それなら、せっかくだから君の名前にしよう。どうだい、『旅岡』さん」と。
女性看護師の名前は『旅岡さん』といいました。
台湾人女性はそのアイデアに大変喜んだといいます。
「旅岡さんが作ったタビオカ!それなら息子を元気にしてくれた人が「旅岡」さんだった、って息子も覚えておけるし、このぜんざいの名前も覚えておけるわ!」
のちに「タビオカ」という発音は中国語、台湾語でも発音しにくいものだったということもあり、子供たちは「タフィオカ」「タブィオカ」になってしまうことが多く、数年で現在の「タピオカ」に落ち着いた、といいます。
台湾スイーツとして日本で大人気のタピオカ、こんなところで日本ととても深いつながりがあったのですね。驚きです。
ウソです。
ウソなんかーい。
本気にして読んでしまったひと、「ウソなんかーい」とつぶやいてみましょう。
なんか許せる気分になるはずです。
でも、ごめんなさい。
ふとタピオカの名前の由来って何だろう、と思って空想してストーリーを作ってみました。
名前の由来、って知るとたのしいですね。
タピオカの本当の名前の由来はWikipediaとかで調べてくださいねー。