嫌われる勇気が流行ってもう随分経つ。自分にもいくらか嫌われる勇気はついたような気がする、なんて自惚れている自分がまだ嫌いだ。この部分は僕にすら嫌われている。
そんなことも気にしないようになって、矛盾はあるもの、と受け入れるようになっていることを考えると、僕は少しは変わったのかも知れない。そこでもう一つ変えたい、やめる勇気。今日はこれについて自分と向き合って対話したいと思う。
やめる勇気とは、今自分がやっていることで慣れた作業、全く意味はないことはないが効果もそこまで出ていない、そんな作業や行動をやめること。
やめれずにズルズル続けるのは活動でと行動でも人間関係でもダメだと思っている。自分が前へ進むためにはやめる勇気は持っておくべきものだ。
ここで注意したいのは何かを諦めて、何かをすることはやめるのとは違う。むしろ前へ進むためにやることで改善と同じことと思って貰えば良い。
今の時代は夢は叶いやすい、「海が見えるところでゆったり暮らしたい」プログラマーになって沖縄に住めばいい。僕がAirBnBで行った民泊には本当にそんな人がいた。今は夢をあきらめるより叶える方がコスパが良い。諦める方がデメリットだ。
意味もなく、今となってはなぜかわからない、だけど続けている、そんな関係や活動とはさよならをする。それが自分の時間を過ごすために大事なことと思う。惰性で続く恋愛関係なんてもってのほかだ。時間は命。僕は命を捨てたくはない。
そんな僕はもう何年も、いや10年以上、靴下のつま先を選択バサミでつまんで干している。これはゴムが伸びるからやめた方がいい。僕は最初に逆さに干した方がゴムが伸びづらいと勘違いをして10年以上続けている。なぜやめない。完全なバカだ。
やめることは日本社会ではダメなことのように思うかもしれない。逆だ。前へ向いて歩いてる人ほどやめてるし、捨ててるし、解消している。その人たちに聞いたことはないが、10年以上つま先から靴下を干すことをやってるわけはないと思う。
やめることをすることで自分にとって大事なこと増やしていく、必要のないものは無くして大切な、本当に時間を使えるものだけにしていく。
やめることは難しい。靴下を干すのにはつま先からが干すのを10年位は軽くやっている。それを変えると新しいやり方にならなきゃいけない、面倒くさすぎる。新しいやり方どんなやり方かも考えなきゃ。
しかし、変えない方が楽だ。自分の慣れたことをひたすらつづける。頭も使わずに。変えると全てが変わる。ストレスもかかる、慣れないことだから時間もかかる。最悪だ、しかし最初を乗り越えればいい。変えないことの方が失うことが多い。
自分にとって意味がないとわかればやめてしまう。いつだってそんな気でいる。やめる方が大変だ。楽をしたい。だから効果のないことはやめる。慣れたことをダラダラつたからことの方が本当は一番辛い。
今日から靴下はつま先を下にする。上にしない。前へ進むためには10年以上のルーティンすら捨てる。前へ進め、かねこ。靴下で命を捨てるな。
「ただジャズが好きなだけ」な毎日ジャズピアニストの金子将昭。毎朝6:30〜コーヒーとジャズと演奏生配信。演奏動画にテキスト解説。みてるだけで音楽教養かも。かねこのジャズチャンネル。チャンネル登録よろしくね(✿︎´ ꒳ ` )↓
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毎日ジャズピアニストかねこ