体験は楽しむもの?。体験は今や学びのきっかけ。なんでも試せる今の時代だからこそそんな事を思いました。体験をして、そこから経験にする。その経験が次の体験のきっかけをを作り、自身の行動がアップデートしていく。そんなことを感じたので頭の整理に書きたいと思います。
今はなんでもやってみようと思えば試せる時代。例えば撮影をしてみたいと思えばカメラ機材や照明機材すぐ買えるし、安い。人物撮りに使うLEDライト、スタンドとケース付きで1万切るなんてザラ。
学生がちょっとアルバイトをしたくらいで買えてしまう。しかも物も良い。この時代は最強に素晴らしい。
先日からコーヒーにハマっているがコーヒーミルやサーバー、ドリッパー、豆、セパレーター、計量器、フィルター、ケトル、全部揃えても2万円もしない。なんでもすぐ試せる。
そもそもなんで勉強は机に向かう学習になってたかというと、体験が出来ないから、ということは大きい。カメラの撮影機材なんて一昔前ならとても揃えられなかった。だから知識を入れたり本で勉強しておく。
いきなり現場に誰でも入れるものではないから、まずは学校で学ぶ。そして知識を入れて、現場で体験から経験を得る。というプロセス。今でも行われているが、昔ながらのこのプロセスはとても時間がかかるやり方のような気がする。
なぜなら今は知識と体験と経験は同時に得られる。ネットで知識を得てそれを格安で揃える。そして実際に試して体験と経験を得る。Amazonのプライム会員なら明日にでも始めれる。
体験は楽しむ文脈で語られることも多い。サービスとして必要な時代だと。今は体験はストーリーベースでナラティブであるのが基本なので単純に体験が必要だとわかりづらいが、体験を楽しむだけと捉えるのは学びの観点からいうと少しもったいない。
体験によってさまざまな刺激が自分に入る。スマホを初めて持った時のことを思い出してほしい。あの体験から自分の価値観は間違いなく変わっているはずだ。それは今までになかったもの、あるいは今までと同じもの、それらが自分の過去の体験と比較されて今の体験の刺激を体の中に整理していく。
「あれは以前のもの比べてこうなったのがよかった」などそこから得たものを知識や技術として整理することで自分の価値観は少しずつ変わる。毎日使う時は自然と体験が経験に変わっていくが、何度も出来ない体験の場合、ただ楽しいで終わってしまう。比較と整理を意識することは大事だとと思う。
先日は寿司屋の鉄火丼を食べた。3000円近くするものだった。とても美味しかったし満足できた。体験を楽しみとして捉えるならこれで終わる。だけど僕は経験にしたかった。だからその日の内に牛丼屋さんの680円の鉄火丼も食べに行った。
これは僕がよくする体験を経験に変える方法で、有名な伝統的な蕎麦屋さんの1800円の天そばを食べた後、夜はコンビニの280円の蕎麦を買うことは良くある。体験を経験に変えるためだ。そして、その後日、ミシュランの星付きの蕎麦屋にも行った。
そのどれもがなぜそこにあるのかがそれらの体験の比較でよくわかり、次はこうしてみようと自然と思った。コンビニの蕎麦を食べた後は僕は自然と「ミシュランの蕎麦屋さんもいっていたい」そう思った。それまで行こうと思ってなかったのに。
できなかった行動が体験を経験に変えていく過程で自然と行動していく、それだけ体験による学びは大きい。体験を楽しむのみにするとちょっともったいなぁと思うのはそういった意味でだ。経験にがある家庭は楽しみの延長線上にもあるので、楽しみや遊びに慣れてる人はぜひ試してほしい。
僕はこういったやり方は遊びが当たり前になっていく時代に、遊びで自然と学ぶスタンダードな楽しみ方の一つして取り入れらるていくのかと思う。まだ意識されることはないからこんな文脈で語られることは少ないが、きっとそうなるだろうなぁとぼんやり思っている。
というか、すでに自分から何をやっている人の多くは、体験から経験に変えて自分をどんどん進めている印象だ。「行動しよう」だとなかなか進まないことも、体験を経験に変えよう、だと楽しみベースで簡単にできるような気もしている。
遊び時代にじゃ遊びで学ぶってどういうこと?ってなると、つまりはこんなことなのかなぁと自分の行動から思ったので頭の整備に書いてみた、今日の学びでした。
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