一昨日、落合陽一さんのこちらの本を読みました。まずこの本に書いてあったことを自分の解釈で簡単にまとめたのち、感想を少し書いてみようかと思います。
この本では、まず小泉進次郎さんと落合陽一先生の、”テクノフォビア”(テクノロジー嫌い)に代表される”新しいことを受け入れたくない”というような価値観をどうやって解消していくか、という内容の対談から始まります。その後、現状の日本についての課題をいくつかピックアップして、それぞれテクノロジーを用いてどうやって解決していけばいいのか、ということが書かれています。具体的には「働き方・高齢化問題・子育て・教育・社会保障費・運動の役割」というテーマについて書いてあります。
働き方
まずは働き方という面において、人口増加を前提として昭和初期に生み出された年功序列・終身雇用という考え方をテクノロジーの導入による「限界費用0化」により、人間の仕事はより「遊び」に近いものとなり、仕組みを作る「AI + VC(ベンチャーキャピタル)」的な働き方をする人と、ベーシックインカム+短時間の簡単な労働に従事する「AI + BI(ベーシックインカム)」的な労働をする人に分かれる、そうしていく必要がある、ということ。
高齢化
次に高齢化に対する解決策としては、テクノロジーを活用した介護や医療の生産性の向上に加え、自動運転やコミュニケーションツールとしてのiPadの活用などを例に、テクノロジーを用いて人間の能力低下やコミュニケーション(相互扶助)不足補い、「介護から自立支援」を進めることが重要であるということ。
子育て
子育ての問題については、高齢化によって若者世代の経済状況が圧迫されている中で、「子供は自分で育てなければいけない」という核家族的な考え方が子育て世代をさらに圧迫しているということを課題としてあげています。その解決策として、インターネットサービスを活用した新たな信頼システムやオンラインサロンのような仕組みをベースとして、地域住民の相互扶助の仕組みが必要であること。
教育
教育については、基礎的なリテラシーを身につける「詰め込み型の学習」から、自分で課題を設定する能力を育む「Ph.D的な学習」をいかに両立していくかということに焦点が当てられています。現状の日本では「詰め込み型の教育」は非常に成果が出ている一方で、大学以降に育まれるべきである「問題発見」の能力が不足しており、これを「教師の多様化」と「AIによる教育の個別最適化」によって解決しよう、と述べられています。
社会保障費の増加
次に社会保障費の問題については、日本の社会保障費の多くが「医療」と「介護」に当てられている現状を元に、この2つのコストをテクノロジーの導入によって効率化していくこと、さらにはテクノロジーによって人間の能力を補うことで、高齢者の労働人口を増やすことによって解決するべきである、ということ。
運動習慣と幸福
最後に人間が幸福に過ごすために「運動習慣の必要性」について書かれています。運動習慣には、「ストレス解消・コミュニティ形成・予防医学効果」という3つの観点からより幸福に生きるために必要であるということ。
各問題点について、テクノロジーを活用してどうやって解決する、されるべきかということが、人間の心理的な幸福や抵抗感にまで配慮した上で書かれていました。以下は自分の感想書きます。
まず前提として、共感する内容・なるほどなあと思う内容が多かったですが、個人的にはここに書かれているテーマの根本的な課題として「大人の再学習」というのがあるのではないかと思いました。
テクノロジーによって既存の仕組みを効率化していく、というのは非常に合理的だと思いますが、実際に現場で働いている人の立場で考えたときに「明日から今の仕事やらなくていいよ」と言われるのは精神的にはかなり辛いことだと思います。
今の社会において、仕事というのは生きるために必要という側面もあるとは思いますが、アイデンティティを形成する役割が非常に大きいです。特に終身雇用を前提とした働き方をしている人、「詰め込み型の学習」に慣れてしまっている人にとっては、「仕事をしなくていい」と言われても、明日から何をしたら良いのかわからず不安になるというのが実際のところだと思います。自分の大学を休学して半年ほどニート生活をしていたので、痛いほどわかります笑...
まず前提として、多くの人にとって、「自分のことは自分でなんとかしなければいけない」という意識があると思うのですが、この「自分と人は明確に別の存在である」という孤立感が不安の原因になっていると思います。
もう1つは、「新しい環境になってもなんとかなる」「自分は価値のある人間である」といった自己肯定感が、現状の環境から離れる不安の原因になっていると思います。
孤立感については、この本で述べられている核家族化の問題とも関係していると思いますが、「自分のことは自分で責任とれ」といった個人主義的な考え方や「所有」に強くこだわる文化に問題があると思っています。
僕は東京に住んでいますが、僕の住んでいる地域は下町で今でもシェアの文化が残っています。町内でいらなくなった食器を区民事務所でシェアしていて、他の人が捨てた食器をもらうことができます。僕は少し前に、家のものを極限まで減らすために一度家具や食器を全て捨てましたが、やっぱり食器は必要だなと思い区民事務所にあったお皿をもらいました。こういうのは地味に助かりますし、「誰かが助けてくれるんだな」という安心感を得ることができます。
最近はシェアリングエコノミーなんて言葉も流行っていますが、こういう「シェア」の体験が「困っても誰かが助けてくれる」という安心感を生み、新しい環境に移る際の不安を多少なりとも軽減してくれると思います。ちなみに、北千住ではよく炊き出しの募金活動なんかもしていて、北千住に住んでいたときは時々寄付していました。ルールではなくて困った時は自発的に助けあう「相互扶助」の文化が現代人には少し不足しているのかな、と思ったりします。
「なんとかなる」という自己肯定感の欠如は、偏に義務教育や終身雇用による多様性(ダイバーシティ)の欠如が問題だと思います。義務教育や終身雇用の中で、一律の価値観で評価されることに慣れているために、自分とは異なる評価軸で評価されるコミュニティと接する機会がないのだと思います。そのため、学校教育の中や最初に入社した会社の中で評価が低いと、「自分はどこに行ってもダメなんじゃないか」あるいは「今のコミュニティで評価されていても他のコミュニティではダメなんじゃないか」と行った不安が強くなるのだと思います。
これは新しい環境や異なる価値観に触れるという体験を通してしか解消できない問題かと思いますが、これが「大人の再学習」に当たるものだと思います。僕は大学を休学してベンチャー界隈の人と接するようになり、初めて実感レベルでこの体験をしました。与えられた評価軸に合わせるということに慣れすぎていて、自分に合った評価軸を持った場所を見つけるということが中々できない訳ですね。
僕は、人間は多様である一方で、根本的な価値観には基本的に大きな差異はないと思っています。生き方や職業、特定のトピック(恋愛観や仕事観など)については多様な考え方を持っているように見えますが、能力や収入とは無関係になんらかの不安や不満を抱え、同じように悩んでいるものだと思います。
そして「孤立感」と「自己肯定感」という問題は、異なる価値観に触れるということ、さらにそのコミュニティに入った時に、一方では同じように悩んでいる人いることを知り、順応するという体験を通してしか解決できないと思っていて、義務教育や終身雇用の中ではこの体験はできません。
こういう、「多様であるが実はみんな同じ」という感覚を持つことが出来る機会を増やすこと、これが「大人の再学習」であり、ここに踏み込むための精神的なコストを如何に下げられるか、というのが最も重要で本質的な課題ではないかと思っていて、ここに何か貢献できると良いなあという次第です。
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