(こういうブログ記事って「考えた」「考えてみた」が多いと思うんだけど、今回は僕の中でも結論じみた部分がまったくないので、まだ考えてる途中ですよ、という意味を込めて、「考えてる」というタイトルにしてます。なので最後まで読んでもなんだか消化不良な内容です。ちょいちょい続きを書きます)
ぼくは新卒で通信社の記者になった。4年半働いて、旧来のマスメディアに未来はないと考えて退職した。
新聞記者としての取材と執筆の日々は、とても良いものだったと、それなりに胸を張って言える。やりがいや充実を感じる機会は少なくなかった。自分が魅力を感じた人の取材はとても楽しかった。社としての恒例の仕事で、つまらない話を書かなければならない時も、自分なりに工夫をこらしたアウトプットに仕上げることで、結構楽しめた。記事になったことで取材相手から感謝されたり、取材を通して「考えがまとまった」と言ってもらえることもあった。記事がきっかけで、取材相手の仕事がより広がることもあった。取材相手が嫌がるようないわゆる「特ダネ」もまあ書いた。
一方で、自分が担う仕事に疑問を感じる場面も、少なくはなかった。このことはいずれ、まとめて書きたい。理由は末尾の(※注)で。
日本に住む多くの人のもとに、記事を届けられる存在としての「マスメディア」。主にテレビと新聞を指す。もう少し、あえて厳密に言うと、テレビはNHKと5つのキー局。新聞は読売、朝日、毎日、産経、日経、東京あたり、それに共同通信と時事通信か(順番に意味はありません)。
これらのメディアが、存在感や存在価値、社会的影響力といったものをけっこう強く持っていたので、「マス」メディアと呼ばれていたのだと思う(歴史的文脈はいったん抜きにして、結果論で考える)。で、ぼくはいま、この存在感、存在価値、社会的影響力は、日に日に小さくなっていると声を大にして言いたい。もちろん、記者として働いた経験も元に考えていることだ。(論点①)
新聞はどんどん読まれなくなっている。テレビもどんどん見られなくなっている。このことに対して異論を示す人はあまりいないはず。では、それはなぜか。僕には、単純に面白くないからだとしか思えない。「絶対的に面白くない」もあれば「相対的に面白くない」もある。マスメディアの戦略の失敗ともいえる。(論点②)
「相対的に」と書いた。これは「マス」ではないメディアが増え、力が強くなっていることを表したい気持ちからだ。実際にそうなっていることに対して異論を示す人も、たぶんほとんどいない。キュレーションメディアとか、オウンドメディアとか、〇〇メディアと呼ばれるものはもちろん。ブログのサービスも、実質的にはメディアとなっていると言える。Twitterもそう、Googleだってそういう側面はある。突き詰めて考えていくと、メディアって何?ってなる。だって、インターネットを駆使すれば、直接情報源にたどり着けるのだから、情報入手を媒介するメディアって、必要なくない?って話。でも、ここは否定する。「良質なメディア」は、市民社会に必要、求められるべきものである。じゃあ「良質」って何か、これがタイトルで言及した「ライター」という仕事について考える上で大切なことだと思う。(論点③)
論点を三つあぶりだせたので、今回はここまでで十分。考え続けて書き続けることが大切だ。
(※注)マスメディアの記事の存否については、様々な論点がある。世間が求めること、世間が知る必要があること、多数の人が知るべきこと、単純に面白いヒトモノコト、新しいこと、などなど。どれもニュースたり得る要素であるのは事実であるし、一方でマスメディアに求めるものは人によって大きく異なるということも忘れてはならない。なので、冷静にじっくりとした分析と記述が必要になる話だとぼくは考える