私はエニグマさんの「歴史カテゴリ解放戦線」のためだけにALISに参加しているだけの身分なので、端から見ていると実に悲しい限りです。
Alisistaの人たちは、ALISの思想に惚れてβ版から参加しているのではなかったのですか?
ALISが目指す「信頼の可視化」やβ版とは名ばかりのバグだらけのα版ALISがたったの一年で理想のSNSプラットフォームになるはずもないでしょう!
そんなAlisistaに一言っ。
三河武士とは、徳川家の家臣団のことです。
徳川家は東海一の弓取り「今川義元」と戦国の風雲児「織田信長」の勢力に挟まれた弱小国で不安定な勢力でした。
ALISは巨大なブログプラットフォーム「STEEMIT」とNEM界の風雲児「NEMlog」に挟まれて今や窮地に陥っている状況と同じです。
そんな徳川家康は徐々に勢力を付けてくることになりますが、この後に3大危機と呼ばれる出来事に襲われます。
家康の領地:三河で浄土真宗の一向一揆が発生。家臣であるはずの三河武士の大半も参加して徳川家打倒を掲げた内乱が勃発しました。
どうにか家康は内乱を収めることが出来ました。
一向一揆に参加した三河家臣団たちは、自分達の信仰心と家康への忠誠心の板挟みになってしばらくは家康の元に帰るのを躊躇したと言います。
しかしお互いに理解し合って以前より強固な三河武士団の結束が深まったともいえる事件でした。
天下統一を目指し京に進軍する武田信玄が三河に侵入してきた。
とても武田軍に敵わないため、家臣団は籠城策を提案します。
しかし徳川家康は、プライドが許さないため武田信玄に決戦を挑みます。
が、武田の騎馬隊にボコボコにされて大敗北してしまいました。
徳川家康は、敗走する時に恐怖で馬の上で脱糞していたと言われています。
どうにか生きながらえた家康はこの日の自分の屈辱の姿を絵師に描かせて戒めたと言われています。
それが「家康公しかみ像」と言われる絵です。
織田信長に誘われて京都に遊宴していた徳川家康一行は、本能寺で織田信長が明智光秀に殺害されたとの報を受けた。
明智軍は、信長の同盟者であった家康にも襲い掛かる。
気が動転して切腹を決意した家康を三河家臣団が説得し、伊賀を抜けて苦難の逃避行を続け、命からがら三河に戻ることが出来たのであった。
この伊賀越えに随行していた家臣たちは
酒井忠次、本多忠勝、井伊直政、榊原康政、石川数正、服部正成(半蔵)、大久保忠隣、大久保忠佐、渡辺守綱など 徳川家の有名武将勢ぞろいでした。
※特に「酒井忠次、本多忠勝、井伊直政、榊原康政」は徳川四天王と呼ばれた猛者達です。
2018/12/8現在、Alisistaの一部は、ALISへの忠誠心より、暗号通貨界隈への信仰心を重視して三河一向一揆のような状況になっているのではないでしょうか?
それを乗り越えても、三方ヶ原の戦いにようにALIS運営がプライドをかけて無謀な事業にチャレンジしたり、伊賀越えのような危険極まりない「何か」がALISにも待ち受けていることでしょう・・・・
どやっ 歴史なんか興味ないと言っているAlisistaの諸君!
歴史からも学ぶことがあるでしょうが!