小学生の頃、二つ上の学年に少し怖いと思う男子生徒がいた。
みんなでA君と呼んでいた。
なんかあの人怖いよね、と顔も名前も忘れてしまった、同級生の女子生徒が言っていた。
A君に話しかけられることは滅多になかったけれど、廊下を歩いていて、すれ違った時に「○○先生はどこ?」と聞かれた。
本当に驚いて、かなり小さな声でびくびくしながら答えた覚えがある。
同級生の女子生徒が、
「A君ってお箸の持ち方が、こんななんだよ」
そう言って、傾けた手を握りしめた。
そのことを母に話すと
「親にちゃんと教えられてないんだね」
とため息を吐くように言った。
その声には、同情がいくらか含まれていたように思う。
それからもずっと、A君のことは怖いままだった。
どうしてあんなに怖かったのか、思い出せない。
先生のことを聞かれて、知らない、と言った私の小さな声を聞き取ってくれたのに。ふうん、そっか、と返してくれた彼の、荒っぽさを含んでいたけれど、どこか穏やかな声が忘れられないのに。
親がちゃんとお箸の持ち方を教えてくれるような人だったら。私にもう少しでも勇気があったら、ほんの少しでも強かったら、差別心がなかったら。
仮定の話をして、考えて、誰かを責めて。
こんなにもつらいのにどうして私の心は穏やかなのだろうか。