ども!kassyです。
エニグマ氏のラグナロク作戦に基づき参戦するでござる・・・
(※元記事はnemlogで公開中です!)
今回は先般韓国大法院にて原告側が勝訴した徴用工裁判について個人的見解を述べてみたいと思う。
最初に断っておくが、この記事はあくまで個人的見解であって、私の属する「クリプト歴ヲタ同好会」の総意ではないので、誤解のないようにお願いします!
さて、徴用工問題とは韓国朝鮮人の人達が「不法」に併合された日本により、強制徴用により「不法」な扱いにより強制労働につかされた事に対し、損害賠償を請求した裁判であるが、韓国大法院は被告である新日鉄住金に対し、一人1000万円の支払いを命じた。
対する日本は、1965年に締結した日韓請求権・経済協力協定で既に解決済みとの見解で、強烈な反発の姿勢を見せている・・・
まぁ法解釈の問題は今回、置いておくとして、歴ヲタとして考えるべきは、戦後70年を超えても尚、国際法を無視してまで未だに反日の姿勢を取る韓国の「恨の歴史」について検証してみたい・・・
「恨の歴史」は遡ること676年の統一新羅成立に遡ると考えている。
それまで、怪傑さんが朝鮮三国志の記事でも取り上げていたが、朝鮮半島は、「高句麗」「新羅」「百済」が戦いを繰り返し、朝鮮半島の覇権を争っていた。詳細はこちらの記事をご覧くださいwww 、 https://nemlog.nem.social/profile/160
新羅は朝鮮半島を統一すべく当時、東アジアの大国「唐」に取り入ることにより百済、高句麗を滅亡させ、朝鮮半島を統一したが、その代償として唐の冊封国(属国)として扱われることとなる。
統一新羅に始まった冊封体制は、高麗、李氏朝鮮と移り、日清戦争で日本が勝利し、朝鮮の独立が認められるまで続く。
この間、「新羅」「高麗」「李氏朝鮮」では事大主義の考え方が染み付いてしまったと考えている。
「事大主義」とは、、、
Wikipediaによると、孟子の「以小事大(小を以て大に事(つか)える)」の意味で、「小国のしたたかな外交政策」が意味を変え、「支配的勢力や風潮に迎合し自己保身を図る考え」とのことである。
事大主義の考え方は、朝鮮半島の地政学的側面を考えると致し方ない方法ではあるのである・・・
加えて中国は中華思想(華夷思想)の国家観から周辺国を蔑視しており、当然朝鮮半島を蛮国と捉えており、朝鮮半島ではその不満のはけ口として日本(倭)を自分たちよりも下と考えていた。(小中華思想)
この考え方が、今でも一部韓国民の中に「韓国は未開で野蛮な日本に文化を教えてやった」となっている・・・
また朝鮮半島で主流の儒教の考え方「年上を敬え」から自分たちより下の立場である日本は「大人しくしてろ!」となり、これらの歴史的背景が根底にあるものと推測される。(日本でも江戸時代の身分制度も同様の考え方ですよね・・・)
ここまで朝鮮半島について否定的な考えを書いてきたが、日本においても少なからず、この傾向は見て取れる。
古代の倭国は漢に対し、朝貢を行い「漢委奴国王」の金印を授かっているし、かの有名な卑弥呼も朝貢政策により「親魏倭王」の金印を授かっている。また室町時代には足利義満が明に朝貢を行い「日本国王」の称号を得ている。
現在の沖縄県である琉球国は清の時代まで冊封国として朝貢を繰り返していた。
日本の場合は、「事大主義」の本来の意味である「小国のしたたかな外交政策」の側面が強いが、琉球に関しては朝鮮半島と同様、小国の生き残り策として朝貢を行っていたようだ・・・
話を朝鮮半島に戻すが、中国が漢民族の「明」から女真族の「清」に変わる際、事大主義に反し、清の命令に背いたが、コテンパンにやられ冊封使に「三跪九叩頭の礼」を強制されたことが史実として残っている。
その現場が朝鮮半島では迎恩門であり、琉球では首里城の「守礼門」であるとのこと・・・
日清戦争により、中国からの完全な独立を認められた朝鮮は事大先を「大日本帝国」に変更。
当時の国際社会に合法的に併合され、朝鮮半島に独自国家は消滅した。。。
太平洋戦争後、連合国により「大韓民国」が建国され現在に至るワケですが、現在の事大先は「アメリカ合衆国」と考えられる。
染み付いた事大主義の考え方は旧宗主国に対し、「恨」が増幅する傾向にある。
日清戦争により日本が宗主国になった際は「清」に対し、「恨」は爆発。太平洋戦争で日本が負けると日本が「恨」の対象とされた。
とりわけ小中華思想で格下と考えていた日本からの支配への「恨」は格別で、現在の「愛国無罪」への形を変えつつ、未だに生き続けているのである・・・
この辺りを理解しておくべきではないでしょうか・・・
最後に、個人的には朝鮮半島とは一日も早い正常で対等な関係が築ければと考えている・・・
と付け加えさせていただきます!
それでは!