先日、大学の自販機でポテトチップスを買おうと500円玉を入れると反応せず戻ってきたことがあった。最初はエラーだと思って何度か入れてみたが反応せず、投入口の下にある新500円玉が使えない旨の張り紙を見て、この500円玉はこの建物では無価値であることに気づいた。面白いことに、当時私の財布には10円玉数枚と新500円玉と5000円札しかなく、5000円札は同様に自販機では使えなかったので、隣の自販機で当時の私の欲求をもっとも満たしてくれそうだったアイスココアをスマホに入っているsuicaで購入した。
さて、ここ日本社会において円が価値を持つ理由はどこでも誰に対しても使えると皆が信じているからである。しかし、私は先日硬貨である500円玉はまだしも紙幣である5000円札ですら使えなかった。つまり、もしすべての決済機能が先日の自販機のように新500円玉と5000円札を排除したらこの二つは通貨から株などと同等の”資産”にダウングレードするということである。
近年は電子決済の普及によって現金が使えない店も増えてきているようだが、そうなればますます日本銀行券の通貨から資産へのダウングレードは加速すると言えるだろう。
インターネットの社会に目を向けてみる。特にweb3の分野では決済機能の実装の容易さからステーブルコインの利用が増えているそうだ。中央集権型の決済システムを自分のサイトに実装するよりもステーブルコインの決済機能を実装するほうが簡単であると聞いたことがあるが、これらの要因によって既存の電子決済システムの通貨としての価値も下がるだろう。
では、日本銀行券の代わりにステーブルコインが台頭するのだろうか?多くの人はこのように思うかもしれないが私はそうは思わない。以下に、その理由を説明しようと思う。
ステーブルコインを決済機能として提供する場合、財の購入者は必ずしもそのステーブルコインを持っている必要はない。例えばalisトークンしか持っていない場合でも、DEXを用いることで瞬時に、まるでalisトークンで決済したかのような感覚を味わうことができる。
つまり、よくアンチ暗号資産からよく言われるボラの高さから暗号資産は決済に適さないという主張は、少なくとも購入者目線では問題ないということである。
また、生産者目線で見てもステーブルコインが必ずしも最適解とは言えない。
極論だが例えば米(コメ)の市場価格が一日で半額になったり2倍になったりする世界では、米農家が自身の米を売る際の基軸トークンとしてステーブルコインよりコシヒカリと等価交換できるトークンを用いるほうが合理性が高いと言えるだろう。
思うに、将来すべての生産者が自身が提供する財の価値に連動するトークンを発行し、なにか財を売る際にはそのトークンを決済の基軸とし、その生産者が購入活動を行う際もdexにより自分のトークンで決済する感覚で相手が発行したトークンで決済する未来が来ると思う。
皆さんはどう思うだろうか。コメントをしてくれると嬉しい。