私は子供の頃から頭が良かった。何だってすぐに理解できたし、未来も予想できた。
「ふむふむ、これはこうだよね」
「あれはああだからこうなるに違いない。ほらね? やっぱりそうだったわ」
こんな風だから、誰もが私に一目置いていた。とりわけ、両親を含めた大人たちは感心し、私を頼りにしてさえいた。そしてそれは、私の自尊心を満たしてくれていた。
そんな私にも欠点があった。いつも体の具合が悪いのだ。だがそれは大した事では無いように思われた。まだ子供なのだし、他にも体の弱い子などいくらでもいる。頭脳の明晰さを獲得する方が、人間にとっては良いはずだ。私は何も疑問に思っていなかった。
大人になっても、頭脳は活発に働いていた。周りからは、あの人は頭が良い、知性派、と見なされ、時には嫉妬混じりの言葉を投げ掛けられる事もあった。だが私は密かに同年代の女性達に憧れの気持ちを抱いていた。
花のように美しいA子。瑞々しい食べ頃のグレープフルーツの様なB子。お人形さんのように可愛らしいC子など。どれも私には無いものだ。
そんな芳しい彼女達とは対照的に、私は知性を積み上げれば積み上げるほど、枯れていくのだった。ただでさえ生命力の乏しかった肉体は痩せ細り、顔色は常に青ざめて、瞳の輝きも失われていった。
「ああすればこうなる、したがって、やらない方が良い」
こんな台詞が常に頭の中を徘徊するようになった。思考の檻に閉じ込められた私。
ある時鏡に映った自分の姿を見てこう思った――若年寄――私は三十にもなっていないというのに年老いた。いや、子供の頃から老いていた。年老いたまま生まれたのだ。私の胸に焦燥感がわき起こった。この歳でこんなに老いていたら、本当の年寄りになる頃にはどうなっているのか? いや、そもそも私は年寄りになるまで生きていられるのか?
「このままではいけない」
私は若さを知らないまま生きていくのは嫌だ! 生命力の無いまま生きているのは嫌だ! 私は衝動的に家を飛び出した。こんな事は初めてだった。
闇雲に走った私の目に飛び込んできたのは、打ち寄せる波だった。潮の香りが鼻腔をくすぐる。そうだ、海だ!
生命は皆海からやって来たのだ。ならば海には太古の昔からの記憶が眠っているはずだ。命の秘密を内包しているに違いない。私もその一部になるのだ。
私は勢いよく紺碧の海へと走り込んだ。荒い波が私の体を押し返し、そして沖へと引きずった。塩辛い味が口一杯に拡がる。命のスープ。私はきっと融けて海の一部になる……。そう思ったその時だ。
「おおーい! 大丈夫か?」
中年男性が飛び込んで来て、私の腕を捕まえた。
「しっかりしろ!」
男は私を抱き抱えると砂浜まで運んだ。ゼイゼイ息をしながら私の体を砂浜の上に下ろし、続けざまに叫んだ。
「何があったか知らないが、早まったことをするんじゃない!」
私は呆然と男の顔を見つめた。
「プッ。アハハ、アハハハ!」
何ということだ。完全に勘違いだ。私は死にたいのではなく、生きるために海へ飛び込んだのだ。それなのに、この男ときたら!
「おい……。どうしたんだ? まあ良い、医者へ連れていってやるからな」
医者に何故海へ入ったのかと聞かれて、私は本当の事は言わなかった。ただ一言、
「よく分かりません」
とだけ言っておいた。