
しずかなインターネットというブログサービスを使い始めてみた。
このサービス自体にクリプトの要素はないが、ALISやWeb3についても触れるのでこの記事のカテゴリはクリプトとさせていただいた。

トップページの説明
しずかなインターネットは、日記やエッセイを書くのにちょうどいい、文章書き散らしサービスです。
ここでは有益な情報を書くことはあまり求められていません。「たくさんの人に読まれなくていい」「自分のために、ひょっとすると、どこかの誰かのために」そんな気楽さで文章を書くための場所です。
実際、トップページにはこれ以外ほとんど何もない。
おすすめ記事や人気記事を紹介するコーナーもないため、能動的にURLを公開しない限り誰の目にも触れない。
誰かをフォローしても、更新通知は週に一度だけ届く仕様。
まだ使い始めて一週間も経っていないが、この静けさは悪くない。
その所感は しずかなインターネット上の自分の記事 に書いたとおりで、Twitterで書ききらなかったことをもう少し言語化して整理する場所として使っていくつもり。
言うなれば、自分専用のシンクタンクのようなもの。
これは完全に自己満足の世界の話であり、用途としてはALISとは真逆。
この投稿は思考整理のためのものでしずかなインターネット向きの内容だがALISの事情はALISユーザー以外には全く伝わらないであろうから流石にそれも寂しいのでこちらに残しておく。
数年前にポコポコと生まれた「トークンエコノミクスを基盤とするサービス」の多くがそうであるように、ALISも例外なく厳しい状況らしい。
しばらく追えていないので最新情報があれば教えてほしいが「いつ終わってもおかしくないサービス」だと言われ始めたのはもう随分前のこと。
ALISにおける「ブログを書くモチベーション」の大部分は、端的にいえば “お金” である。
一般的なブログとは方法論こそ違うものの、トークンエコノミクスを前提とする以上、この構造からは逃れられない。
mixiや魔法のiらんどでブログ(のようなもの)を書いていた頃、お金をモチベーションにしていた記憶はほとんどない。
お金が良い・悪いという話ではなく、ただ「あの頃とはどこかが違う」という感覚があり、その違いを言語化してみたいと思った。
もちろん当時からプロは存在したし、各サービスにもビジネスモデルはあった。だが、それらはユーザー側の体験に強く食い込んでくるものではなかったと思う。
「まずは新しい遊びに触れてみたい」という軽い好奇心があり、そこからマニアが生まれ、マニアが良質なコンテンツを作り、それが文化へと育ち、さらにその先にプロが生まれる——そんなゆるやかな順序があったように感じている。
ここでは「昔は良かった」と懐古をしたいわけではない。
実際、アフィリエイトは当時から存在したし、2ちゃんねるのまとめサイトの広告表示が炎上していたのも記憶にある。モバゲーやGREEのように、サービス提供側が明確に収益を目的としていた例もあった。
ただし、それらはいずれも“ユーザーが自分自身の発信に経済性を求める” という文脈とは別の話だったように思う。
ユーザー目線で言えば、ブログを書くこととお金を稼ぐことは結びついていなかった。少なくとも、自分の体験範囲ではそうだった。
もっとも、これは単に当時の自分が今以上にお金に無関心なお子様だったからかもしれない。
もし上記の体験が部分的にでも正しいとするなら、Web3 の場合はその順序が逆転してしまったのではないか、という仮説を立てたい。
当時は
先端技術→マニア→良質なコンテンツ→文化的厚み→必然的にインセンティブも厚くなる→プロ
という大まかな流れが主流だったはずが、
Web3では
先端技術→インセンティブの提示→ユーザー=プロ→・・・
という順序になってしまった。
つまり、文化よりも先に「お金」が前面に出てきた。
これはブログに限らずほとんどのWeb3コンテンツがそうだと思う。
Web3の起源がサトシナカモトによる「二重支払い問題の解決」、つまり“通貨のための技術”であり、経済性が中心にある以上これは必然。
そこに哲学や理念を重ねて意味を拡張してきた人々がいた一方で、やはり文化形成の核にはなりにくかったのだと思う。
結果として、
コンテンツが厚くなる前にインセンティブが提示された
「プロ化」だけが先に進んでしまった
マニアが生まれる余地が狭かった(お金マニアしか生まれなかった)
こうした構造的な逆転が、文化としての成熟を妨げたのではないか。
そのように感じている。
こんな大きな話は本来頭の良い人たちに任せればいいはずだけれど、ふと浮かんでしまった自分の考えを殴り書きしたくなった時、しずかなインターネットはちょうどいい。
以上、そんな用途の例文











