上の姉から手紙が来て、
「あの空き家に自分を住まわせろ」
との要求。受け入れられるわけがない。しかし、非常識な人なので玄関を壊して侵入するかもしれない。それで、市役所の水道課に行って確かめることにした。
水道課の人に
「正式な相続人でない人が窓を破って侵入して居座った場合、水道を再開できますか?」
と、尋ねたら
「極端な話、相手がヤクザでも申し込みがあれば使えるようにします」
とのこと。
念のために、中部電力に電話で問い合わせた。
「違法に占拠している人が通電を求めてきたら応じますか」
との問いに、
「相手が誰であっても求めがあれば通電します」
との返答。
役所には何も期待しないことに決めた。お役人には“社会正義”という言葉が通じない。固定資産税を支払わないゴネ得も受け入れ、取りやすいところから納税をしてもらう。善良な態度を見せたら、そこに漬け込み差し押さえをチラつかせながら強制的に取り立てる。
その一方で、支払わない方が違法に空き家を占拠しても快適に暮らせるように水道も電気も用意してあげる。
織田信長が生きていたら、こんな役立たずの役人は全員文字通り「首をはねよ」と言われるだろう。さらし首。
私は、二人の姉とは一生会うことはないだろう。弁護士が間に入らないと話もできない。気楽な一人暮らしは嫌いではないが、このまま歳をとるといつか孤独死することになりそうだ。ヘタをすると、私の自宅も空き家になる可能性がある。
鎌倉時代に単独相続から分割相続になったせいで、御家人たちは高利貸しにお金を借りる破目に陥り徳政令が乱発されて幕府の信用が落ちたと歴史で習った。それが、700年後の今の日本の「空き家問題」として蘇っている。日本国政府も落ちぶれたものだ。
両親の財産を子供たちが等分に分割する分割相続はそんなに素晴らしい制度なのだろうか。私の家族はそのために崩壊した。私の家族だけではないはずだ。これが合法で望ましい状態という判断なのだろう。
私がソファで横になっていたら、末娘が小さい頃に両手にオモチャを持って近寄ってきたことがあった。その時、私は
「パパに好き好きして」
と言ったら
「いいよ」
と言って、オモチャを手放して顔を私の胸にスリスリして
「すき、すき」
と言いました。私はたぶん一生この瞬間のことを忘れないと思う。
マルコの福音書の10章13節にこう書いてある。
「だれでも幼子のように神の国を受け入れる者でなければ、そこに入ることは決してできない」
ユタ州で生活していると、人々がこのような幼子だと感じることがしばしばあった。教会の教えのせいだと思う。
私が
「タイプを習いたいなぁ」
と口走ったら、そこにいたアランという理科の教師が聞き留めて
「じゃ、中学生と高校生用のタイプ教室が夏休みに開催されるから参加したらいい。言っといてあげる」
と言ってくれた。これは日本では絶対に起こらない。中学生・高校生用のタイプ教室があっても日本のように規則だけが重要な国では私のような外国人の飛びりなんて認めない。
これからも、空き家は増え続ける。