英検1級と京大英語、どっちが難しいの?(2)
日本人には、欧米で“マスク拒否”や“ワクチン拒否”の運動が盛り上がると不思議な顔をする人がいる。
「マスクをすれば感染が防げるのに」
とか
「ワクチンで重症化が防げるのに」
とか考えているようだ。
私は反対運動をする人が気持ちが分かる。たぶん、アメリカに住んでいたからだと思う。
自分が何を身に着けるか決めるのは自分である。これは基本的人権に関わる重要事項。そう考えるのが欧米人。自分の身体の中に入れるものは自分で決める。これも基本的人権に関わる重要事項。他人が自分の身に着けるものを決めたり、身体の中に入れるものを決めるなんてありえない。
私が教師をしていたユタ州のローガン中学校では「宿題」はほとんどなかった。それは、
「下校後の時間の使い方は個人の自由選択である」
という基本的人権の問題。スポーツに興味がある子はスポーツをすればいい。ボランティアに興味がある子はボランティア。教会活動が好きな子は教会へ行き、勉強が好きな子は勉強すればいい。
もちろん、部活やクラスなんて制度はありえない。制服もないし、化粧も自由。
そういう民主的な国に住んでいる時、日本を見ると
「同じ服を着ろ、同じ靴を履け、同じ鞄を持て、同じ宿題をしろ、同じ髪型しか許さん」
こんながんじがらめの国は専制独裁体制の国と変わらない。
部活なんて、そもそも自由だと法律に書いてある。なんで強制なんだ?なんでクラスなんて存在するんだ?授業毎に生徒が移動すれば、朝から晩まで同じ空間にいる必要がない。そんな所に押し込めるからイジメが起こる。
21世紀になって、やっと「ブラック部活」とか「ブラック校則」とか生徒たちが気づき始めている。こんなものは、50年前に全廃されるべきだった。だから、日本はいろいろな分野でガラパゴス化が起こってしまう。野球のルールを知らない野球部顧問なんてありえない。英語の話せない英語講師なんて常識で考えればおかしいだろう?
何が言いたいかというと、京都大学に合格するような子は
「自分が何を勉強するかは、自分で決める」
というタイプの子ばかりだったということ。学校や予備校・塾が決めたカリキュラムや宿題など、まるで無視。
私は
「宿題をたくさん出してくださいね!」
という保護者の子を指導するのは気が進まない。そんな子には難関大合格は望むべくもないからだ。