宗教って、頭がおかしい人が信じるもの?(1)
私はアメリカのユタ州が末日聖徒イエス・キリスト教会が作った州であることを知っていました。だから、ユタ州のローガンで中学教師をやることが決まったとき
「帰国するまで絶対に教会員になどならないぞ!」
と心に決めて渡米しました。
日本の学校で歴史を学ぶと
「宗教なんぞ信じているから十字軍なんて悲惨なことが起こるんだ」
と、自然と思うようになる。たまに
「近藤さんちの息子は宗教にハマって全財産を無くした」
なんて噂話を聞いたりもする。オウム真理教の事件などを耳にするとよけいに怖くなる。
お寺さんなんて葬式の時にしか会わない。
「アメリカの学校ではダーウィンの進化論と一緒に聖書の創世記を教えているんだって」
と聞くと
「なんで近代国家の学校で宗教なんて神話を教えるんだ?」
と、不思議に思ったものだ。
しかし、現実には私はクリスチャンに改宗した。それは、長い話なのでここでは書かない。
私は日本に帰国後、10年ほど近鉄四日市の駅裏にある末日聖徒イエス・キリスト教会の四日市支部に通っていた。自宅から車で50分くらいかかる距離にある。今は教会には行っていない。それは、10年間で日本の教会に失望してしまったからだ。
理由はいろいろあるが、一番大きな理由はある教会員に
「あなたは仕事と信仰とどちらが大切なの?」
と、尋ねられたこと。もと妻からも同じ質問を受けたことがある。それがバツイチになった一番大きな理由だった。
私は名古屋大学に合格して英検1級を所持している。つまり、小さい頃から一生懸命勉強してきた。アメリカの教会には、そんな会員もたくさんいて珍しくもなかった。ビジネスで成功している会員は尊敬されていた。
「だって、彼はお金持ちだから税金も教会への寄付も多額なんだよ」
というわけだ。障碍者や退職して社会から援助を受けている人たちも多いのだから、金儲けが上手な人は必要不可欠なわけだ。
ところが、日本の教会に行ったら学歴が低い人、障碍者、老人が大部分だった。日本の資本主義の競争社会の中で敗残者となり「困ったときの神頼み」のような人や、ビジネス社会から距離を置いている人の割合が高かった。アメリカの教会を知っている私にとっては異様な風景だった。
宗教って、頭がおかしい人が信じるもの?(2)
塾を開業すると、ライバル塾は日曜日に開業していた。だから、日曜日に教会に行くため塾を閉じる私の塾は不利だった。塾生の保護者からは、日曜日に塾を開けて欲しいとの要望も出ていた。娘たちの教育費を稼がなくてはならなかった。田舎だから「組」という制度があり、日曜日に活動も増えてきた。日本は教会に通える環境にない。
日本は少子化になり、不況になり通塾率も落ちてきて、大規模塾も近所に進出してきていた。それで、私は生き残りを賭けて英語の他に数学や理科、社会のクラスも設置するため勉強に没頭していた。すると、教会の人も妻も
「仕事と勉強とどちらが大切なの?」
と、私の生活態度に批判が始まったのだった。
日本の教会員は、学歴が高いビジネスマンを「信仰より仕事を優先している」と信じているようだった。そのため、私だけでなく壮年期にあるビジネスマンは教会を去ってゆく人が多かった。結局、私もバツイチになって娘たちが成人したら教会に行かなくなった。
「あんな場所にいたら、人を愛するどころか、人を憎んでしまう」
と、思ったからだ。
それで、私はローガンにいる友達にメールを送って相談した。彼は、日本で宣教師をしていたので日本の事情を知っていると期待したのだ。しかし、返ってきたのは妻や日本の教会員と同じような話だけで、私は失望してしまった。
とりあえず、毎日聖典を読み、祈り、酒やタバコを遠ざけ、姦淫を避ける生活を続けることにした。それしか出来ることがなかったからだ。教会や近所づきあいは止めた。今もそうしている。賢い生徒たちは、私の生活や実績を評価してくれて塾に通ってくれている。