私は塾を始める時は何もルールを決めませんでした。
しかし、月謝を踏み倒して退塾していく生徒が数名現れてから「月謝は10日までに納入」という塾則を作りました。その後、授業開始の1時間も前に塾に来て塾隣の住居のベルを押す生徒が現れて「授業開始時間は厳守」という塾則をつけ加えました。塾にお菓子やジュースを持ち込む生徒が増えたら「塾での飲食は禁止」という塾則を増やしました。
そうこうしているうちに、塾則が10個、20個と増え続けるわけです。そして、あるとき私は「キリがない」と気づきました。学校のブラック校則と同じ道を歩んでしまっている自分に気づいたのです。結局、愚かな生徒がいる限りルールは無限に増え続けるしかない。
そこで、ある年から「警告3回」という制度を作りルールを3回破ったら強制退塾してもらうことにしました。数年経ったら、躾の良い生徒ばかりになり塾則は姿を消しました。もちろん、その過程で
「アホは教えんのか!」
という、反発がありました。躾の良い生徒と成績の良い生徒はほとんど同じグループという実態がありますから。
レベルが高い高校というと西の灘と東の開成でしょうか。両校とも自由な気風で有名です。地元の三重県でも四日市高校は校則が無いも同然です。逆に、不良が集まっていると有名な高校ではガチガチの校則だらけです。
一般社会でも、常識のある人は刑法や六法全書など知る必要はありません。普通に生活している人は法律にひっかかることは少ない。刑法にひっかかるのは犯罪を何とも思わない人だけです。
いくら校則や法律を作っても人間が変わらないと意味がありません。そういう意味で、ルールより教育。教育より常識。常識より道徳。道徳より宗教かもしれません。
絶対に人を殺してはいけない。
こんな規則も法律が無力なのは現実を見れば分かります。学校で教えても無駄のようです。常識や道徳も無いよりマシという程度。人の心の奥底まで変えるのは、やはり神という存在なのでしょう。
ところが、日本では神を信じるというと何故か「変な人」扱いをされる。なぜなんだろう?