「自由権」を大切にしよう
自由とは誰かが与えてくれるものではない。日本の給食は全員同じものがお盆に乗せられて用意される。しかし、私のいたローガン中学校ではバイキング方式だった。自分の好きなものを、好きな量だけお盆に乗せる。考えてみたら当たり前ですよね。大きな身体の子もいれば、小さな子もいる。同じものを、同じ量だけなんてナンセンス。
学力も同じこと。得意科目はみんな違う。同じ数学でも、分数計算ができない中学生や高校生もいる。逆に、中学生や高校生の中でも微分・積分を楽しく計算する子もいる。チャート式でも、簡単な白、標準の黄色や青。難しい赤と分かれている。志望大学もAランクからFランクまでバラバラに進学する。それなのに、同じ授業で同じ宿題なんてありえない。
自分で自由に教材を選び、学習進度を決められない状態を“奴隷”と呼ぶ。ご主人様が全てを決めて、奴隷は無条件でその命令に従うしかない。日本の中学生・高校生は自分の受けるテストさえ決められない。ベネッセの進研模試は簡単すぎると言う高校生が多いけれど、どの模試を受けるかは学校に決定権があるのでバカバカしくても受けるしかない。
エピクテトスは言った。
「自分自身の主人でない者は、決して自由ではない」