18
メリサがアジトに帰り着く頃、クロウクスラムの戦闘は激化の一途を辿っていた。避難を促すサイレンが、スラムの空にディレイする。
スラムの中心部、かつて広場だった場所は瓦礫に埋もれ跡形もない。レッドスコルピオンのTR-60サンダー戦車が、ゆっくりと前進しながら周囲の建物を次々と破壊していく。戦車の周りでは、自動小銃を手にしたグレイコブラの部隊が展開し、精密な掃射を繰り返していた。
対するブラックパンサーズは、崩れかけた建物や瓦礫の山を利用して必死の抵抗を続けていた。彼らの手にある古びた拳銃は、ほとんど無力に等しかった。それでも諦めることなく戦い続ける。
広場の北側、廃工場の残骸を利用して陣取っていたブロークンナイツの一団が、サブマシンガンを乱射しながら突撃を開始した。彼らの勢いは凄まじく、一瞬でグレイコブラの前線を押し返す。しかし、それも束の間に上空からの攻撃ヘリが、三十ミリ機関砲で地上を薙ぎ払う。ブロークンナイツの突撃隊は、瞬く間に蜂の巣にされた。
ヘリの攻撃に乗じて、グレイコブラの部隊が反撃に出る。彼らは息の合った動きで、建物から建物へと素早く移動しながら、ブラックパンサーズとブロークンナイツの残存勢力を追い詰めていった。
スラムの東側では、レッドスコルピオンの別働隊が、装甲車を先頭に進軍していた。ブラックパンサーズはバリケードを急造し防衛するも、装甲車はバリケードを紙同然とばかりにバリバリ剥がし取る。バリケードの背後で身を隠していたブラックパンサーズのメンバーたちは、なすすべもなく蹂躙されていく。
戦場の至る所で、悲鳴と銃声が入り混じる。建物は次々と崩れ落ち、黒煙が空を覆い尽くしていく。
そんな中、これまで戦闘に加わっていなかった西側の区画から、大量の市民が押し寄せてきた。市民の手には、鉄パイプや火炎瓶など即席の武器が握られている。
この予期せぬ事態に、一瞬戦闘が止まるが、すぐさまレッドスコルピオンの指揮官が号令を下す。戦車の主砲が、市民の群れに向けて火を噴く。
爆発と悲鳴が響き渡る中、戦況は混沌と化していく。レッドスコルピオンとグレイコブラの圧倒的な軍事力。ブラックパンサーズとブロークンナイツの抵抗。そして、憤慨する市民たち。
クロウクスラムの狭い路地で、父親のマークは五歳の息子を抱き、妻のサラの手を引いて走る。彼らの背後では、銃声と爆発音が轟いていた。急いで、サラ! マークは叫ぶ。彼の声は恐怖で震えている。
路地を曲がると、突如として目の前で建物が崩れ落ちた。瓦礫と埃が舞い上がり、一瞬視界が遮られる。サラは咳き込みながら、夫の背中にしがみつく。お父さん、怖いよ、息子のティムが泣き声を上げる。マークは息子を強く抱きしめ、前に進もうとする。しかし、崩れた建物の瓦礫が道を塞いでいた。くそっ、マークは唇を噛む。
「戻るしかない……」
彼らが来た道を引き返そうとした瞬間、銃撃戦の音が急速に近づいてきた。路地の入り口に、ブラックパンサーズのメンバーが姿を現す。彼らは後ずさりしながら、拳銃で応戦していた。伏せろ! マークは叫び、家族を壁際に押し付ける。銃弾が頭上を飛び交う中、一家は身を縮めて震える。ティムは泣き叫び、サラは息子を抱きしめて必死に宥めようとしていた。
突然、ブラックパンサーズのメンバーが、マークたちのすぐ横に倒れ込む。彼の胸から血が噴き出している。マークと目が合った瞬間、男は苦しそうに口を開く。
「逃げろ……ここは……もうだめだ……」
言葉と共に、男は息絶える。マークは凍りついたように男の死体から目を離せずにいる。その時、路地の向こうからグレイコブラの部隊が姿を現した。彼らは容赦なく銃撃を浴びせる。逃げるんだ! マークは叫び、再び家族を引っ張って走り出す。
彼らが路地を抜け出たとき、目の前の広場で巨大な戦車が、ゆっくりと進みながら周囲を蹂躙しているのが目に飛び込んでくる。その履帯の下では、逃げ遅れた市民たちが押し潰されていく。悲鳴と肉体の砕ける音が、戦車のエンジン音に混ざって響く。
広場の端では、老婆が孫らしき少女の手を引いて逃げようとしていた。しかし、彼女たちの動きは遅い。ねえ、あそこ! とサラが叫ぶ。助けないと!
マークは躊躇した。そこに向かえば、自分たち家族も危険に晒される。しかし、妻の必死の形相に、彼は決意を固める。
「分かった。行こう」
一家が老婆と少女に駆け寄ろうとしたその時、上空から強い竜巻のような風が落ちてきて、マークの足が止まってしまう。ヘリがすぐ上まできていて、躊躇もなく機関砲が火を噴き、広場に無差別攻撃を加える。
マークは咄嗟にティムを抱きしめ、地面に伏せる。サラも横たわる。弾丸が彼らのすぐ横を掠めていく。攻撃が収まりマークは顔を上げる。目の前では粉塵にまみれるようにして、まるで魔法のように老婆と少女の姿は消えてなくなっていた。広場には大きな弾痕と、飛び散った血痕だけが残されている。ああ……、とサラはその光景に言葉を失う。
突如、近くの建物が爆発し、瓦礫の雨が降り注ぐ。マークは再び家族を守るように覆いかぶさる。ここにいては……マークは周囲を見回す。
「あそこだ! 地下道の入り口がある!」
彼は半ば崩れかけた建物の陰に、地下への階段を見つけた。
「走るぞ!」
全力で階段に向かって駆け出す。周囲では銃撃戦が続き、時折流れ弾が彼らのすぐそばを通り過ぎる。やっとのことで階段にたどり着いた彼らは、急いで地下へと降りていく。暗闇の中、マークは家族を抱きしめる。
「大丈夫だ……ここなら……」
しかし、マークの言葉は途中で途切れた。上からの爆発音が、次第に大きくなっていく。建物全体が崩れ落ちてくるのだ。マークは絶望的な表情で上を見上げる。天井にひびが入り、少しずつ崩れ始めている。
「サラ……ティム……」
彼が最後に家族を抱きしめたとき、轟音と共に建物が完全に崩壊した。地下道は瓦礫であっという間に埋め尽くされた。
19
地面が激しく揺れ始めた。闘技場の床が震え、照明がカタカタと音を立てる。まるで大地そのものが不気味なうめき声を上げているようだった。オレはリングの隅で拳を包帯で巻きながら、その異常な振動にあたりを見回した。
「何だ? 地震か?」
周りのファイターたちも顔を見合わせ、不安そうにざわめいている。揺れはどんどん強くなり、観客たちも騒ぎ始める。俺も警戒しつつ、リングサイドに目をやる。すると突然、天井のずっと上の方で数回の爆発音が響く。その音に合わせて天井が揺れて、土がポロポロと落ちてくると、揺れは次第に収まっていった。
闘技場の通路から男が走り込んでくる。ジャックだった。焦った顔で、顔にはびっしりと汗をかいている。
「イーサン、やべえ! 上で戦争が始まってる!」
息を切らせながら、ジャックが叫んだ。
「戦争だと?」
俺は彼の言葉を飲み込むようにして聞き返した。グレイコブラとブラックパンサーズが抗争を始めやがったんだが……、ジャックはそう言って一度ツバを飲み込み、息を整える。
「レッドスコルピオンの連中が軍用武器を持ち出してきやがった。戦車で大砲なんかもぶっ放してやがる……あんなの、やりすぎだ……」
ジャックの声には焦りが滲んでいる。俺はその言葉に眉をひそめ、彼の目をじっと見据えた。
「本当なのか? ディアゴの首ひとつでそうなるものなのかよ」
「様子がおかしいんだ……オレたち抗争なんて言ってはいたが、街を壊そうなんて思ってるやつはいなかった。ディアゴだってそうだ。今のあいつらがやってるのは抗争じゃねえ。虐殺のそれだよ」
ジャックは今にも泣きそうになっている。ジャックのそんな姿を見るのは初めてだった。
「まだこっちには戦火が回ってきてねえ。それも時間の問題だ。ここにいる全員、早く逃げた方がいい!」
ジャックは振り返り、観客たちに向けて叫んだ。観客たちは不安げにお互いの顔を見合わせ、我先にと出口に向かって走り出すが、すぐに階段で詰まり、押し合いへし合いになった。
「俺たちの街がなくなるってのかよ?」
観客の中の一匹が叫び声を上げた。男は拳を握りしめ、目を怒りで燃やしている。
「そんなの黙って逃げろってのか! 逃げたところで行き場なんてないんだ」
男は辺りに視線を配り、オレたちの街はオレたちで守るってもんだろ? そうだろ、なあ? と言って、その場にいる者たちを諭す。男は床に落ちているパイプを拾い上げる。
「なんでもいい、武器になりそうなもん持って、戦いに行くぞ!」
その言葉に呼応するように、数匹の観客が賛同の声を上げる。彼らは互いに頷き合い、決意を固めたように出口に向かって駆け出していく。
ジャックとオレはみんなが出ていくのを見送っていた。ジャックは眉をひそめ、オレの耳元で話しかける。
「イーサン、お前、前に運びの仕事んとき、女を探してるって言ってたよな?」
オレは、ああ、と言って頷いた。ジャックは続ける。
「お前が探している女かどうかは確かじゃねえんだが、最近、アルヴァロのところに見慣れない女が出入りを見かけたんだ。お前と同じカンガルーの女だった。この辺じゃ珍しいだろ? 始めはお前が来たのかと思ったが違った」
心臓が一瞬、冷たく締め付けられるように感じた。カレン……なんでアルヴァロのところに? その瞬間、ヴィックの言葉が頭をよぎる。
「本当だったのか? なあ、ヴィックの言ってたことは本当だったのかよ!」
オレはジャックの肩をわしづかみに激しく揺さぶる。ジャックは、何のことだよ、知らねえよ、と言ってオレの手をはねのけた。
「アルヴァロは今どこにいる?」
オレはジャックの方には目を向けず、そう聞いた。行ってどうする? とジャックはオレの顔を覗き込むが、視線を合わせず黙り込んだままでいると、ため息をついた。
「街がこんなになってるのにアルヴァロの姿は見かけてねえ。おそらくアジトにいる……」
それを聞くなりオレは階段の方に向かう。
「行くのか?」
「ああ」
「行ってどうする? お前がその女にこだわる理由が何なのか分かんねえが、そんなことより街のことを考えろ! お前はまだ見てないからそんなことが言えるんだよ!」
オレは、それでも行く、と言って階段へのドアを開けた。
「お前クビだ! もう知らん! どこへでも行きやがれ!」
ジャックがそう叫ぶのを背中で聞いていたが、オレはそれに応えることはなく階段を上り始めた。
20
メリサは重いまぶたをゆっくりと開けた。頭の中はぼんやりとしていて、体のあちこちが鈍く痛んでいる。ぼやけた視界が徐々にクリアになり、目の前に立つアルヴァロの姿が見えた。その瞬間、メリサの心に安堵が広がる。口元にわずかな笑みが浮かび、彼を見つめる。
「アルヴァロ……!」
その名前を口にすると、メリサは痛みも忘れ何かにすがるようにその顔を見つめ続けた。彼の無事な姿を確認したことで、混乱していた頭が少しだけクリアになる。自分の周りに広がる危機を伝えなければならないと思い、口早に言葉を継ごうとする。
「外では……まだ戦ってる。レッドスコルピオンのやつら戦車なんか持ち出しがって……みんな、みんな目の前で死んでいった……このままじゃあ全滅だよ、ねえアルヴァロ……どうすればいい? あんたなら……あんたなら何か考えてるんだろ? この戦争終わらせてくれるんだろ?」
メリサは必死に状況を伝えようとするが、頭の中はまだぼんやりとしている。声も震え、涙があふれ出してくる。
「静かに、メリサ」
アルヴァロが優しく声をかける。彼の目は冷静で、彼女の焦りを鎮めるように見つめ返していた。
「レッドスコルピオンがただのギャングだと思ってるのか? それは大きな間違いだ。ギャングごっこをしてたのはディアゴだけだった。あれは軍だ、本物の軍。ゼノポリスが解体した旧軍の兵士たちを金で買い取って、クルクタウンを統治させるための組織なんだよ」
メリサの目には一瞬の疑念が浮かんだが、アルヴァロはそのまま続けた。
「クルクタウンが白旗を上げていないなんて、大嘘さ。街を統治していた連中はもうとっくに寝返ってる。今頃、ノクタルシアの高級クラブで高い酒でも飲んでるだろうよ」
彼はメリサの目を見つめながら、さらに語気を強めた。
「レッドスコルピオンは表向きはギャングと見せかけて、軍事力の復興を進めていたんだ。奴らの目的は、スラムを一掃することだよ。スラムに住む連中なんて、あいつらにとってはゴミみたいなもんなんだよ。ここが片付けば他のスラム地区でもいずれ戦争は起きる。トリガーは何でもよかった。ディアゴの首なんて、奴らにとってはもっともらしい理由に過ぎない」
メリサの中で、これまでの戦闘の意図が少しずつ見えてくる。アルヴァロの話は信じがたいものでありながらも、街の状況と符号する部分が多かった。
「じゃあ、ディアゴをやったのはレッドスコルピオンの連中なのか?」
メリサの表情には、混乱と不安が浮かんでいた。アルヴァロはその問いかけに、それは違う、と言って微笑みかける。
「あれはオレだよ」
メリサはその言葉に困惑した。
「それじゃあ、そのことを知りながらディアゴをやったっていうの? こうなることも分かっていながら?」
彼女は唇をかみしめながら、アルヴァロから出る言葉を待った。アルヴァロは憧れだった。いつも安心をくれる。アルヴァロの言葉はいつだって裏切らなかった。オレがどこから来たか知ってるか、アルヴァロはメリサの顔に手を添えて言った。
「ゼノポリスにいたんだよ。オレはリキッダル・カルテルの中で仕事をしていた。あの組織の中で、オレは生きてきた。あの連中は、命なんて紙切れ一枚の価値もないと信じている。オレはそこで、命を削りながら生きていたんだ。そして、ある日、奴らは俺を試すようにして、この目をえぐり取った」
アルヴァロは眼帯を外し、その傷をなぞる。
「これがその時の傷だ。カルテルは、自分たちに忠誠を誓わない奴には容赦しない。だがな、この目がいつも疼くんだ。まるで『復讐しろ』と俺に囁きかけるように!」
静かに語りかけていた語気が強くなる。メリサは同情を向ける目でその傷を見つめた。アルヴァロは構わず話を続ける。
「だから俺は、カルテルの頭を狙っている。奴らを壊滅させてゼノポリスに戻るつもりだ。この腐った街を出て、もっと高みを目指すためにな。だけど、それには計画がいる。簡単にはいかない。だからこそ、俺はレッドスコルピオンを利用した」
アルヴァロはにやりと笑みを浮かべた。そうだ、紹介しよう、と言ってアルヴァロは部屋の奥に目をやる。奥の壁の影から顔を覗かせる。
「カレンだ」
そう紹介されるとすぐにカレンはまた奥の部屋に消えていった。
メリサは驚いた顔を見せるが、それは嫉妬に近いような表情だった。アルヴァロは続けた。
「あの女もオレに似た境遇だ。カルテルの中で何をやらかしたかは知らないが……奴らから逃げてきたってことはそれなりの覚悟がなきゃできないのさ。目ん玉一個差し出してそれで許されるならそっちの方がよっぽどいい。逃げたやつは生きて帰ることなんて許されない。ただ殺されるだけなら楽だが、その前にありとあらゆる拷問のおまけ付きだよ。あの女だってそんなことは分かってるはずだ。今の状況じゃ、もう自分ではどうにもできねえってことに気づいたんだろう。だから助けてやることを条件にオレはカレンを利用することに決めたのさ」
メリサは何かを喋りたがっているが、この状況でアルヴァロにかける一番の言葉は、どこを探しても見つからない気がしていた。話した内容よりも、過去のことが聞けたことが何よりも嬉しかった。初めて見せてくれた片目の傷が美しく見えた。もっと知りたいと思った。この男のことを。
「ねえ、アルヴァロ。あたしは……あたしは、あんたのために何ができる? 何をして欲しい?」
メリサは心のままに言葉にした。尽くしたいと思った。この男のためなら死んでもいいと思った。アルヴァロはメリサに近づき、その目をじっと見つめた。いい子だメリサ、と言ってアルヴァロはメリサの頭を撫で、そしてキスをした。メリサは突然のキスに驚くが、すぐに受け入れて目を閉じる。アルヴァロはメリサの唇を舌でこじ開け、口の中に冷たいカプセルを滑り込ませた。その異物感にメリサは驚きの表情を浮かべるが、アルヴァロの指がそのまま彼女の口をふさぐ。
「大丈夫だ、メリサ。すぐにカトレアが効いてくる。銃で撃たれた痛みもやわらぐ。安心して、つらい思いをさせて申し訳なかったね」
そういってもう一度メリサの頭を撫でてキスをすると、アルヴァロは手榴弾を束ねたベルトを取り出し、メリサの体を抱き寄せるようにして彼女の体に巻き付けた。メリサ、オレの言うことが聞けるな? メリサは黙ってうなずく。顔の筋肉が麻痺したかのように口は半開きのままで、目はとろんとして涙目になっている。
「この部屋を出たら、イーサンを探せ。そして、見つけたらこのピンを抜けばいい。それで全てが終わる。いい子だ、愛してるよ、メリサ」
カトレアの効果で意識がぼんやりと遠のく中、メリサはしずかに立ち上がり部屋を出て行った。