2020.3.4
ハウスインカケロマを離れ、加計呂麻島観光の続きです。朝、ガイドさんが迎えに来てくれました。まずは、瀬戸内町大字押角の島尾敏雄文学碑公園へ。
サキシマスオウノキ すごく板根が発達しています。
和名の「サキシマスオウノキ」(先島蘇芳木) の「スオウ」は、染料として利用されるスオウ(蘇芳木、マメ科の落葉小高木)に由来。
で、こちらがサキシマスオウノキの果実 ウルトラマンの頭のようですねー。
果実は海水に浮いて海流散布します。
中身はこんな感じ。周りは繊維質ですね。
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その後、公園を奥へ。
島尾 敏雄(しまお としお、1917年(大正6年)4月18日 - 1986年(昭和61年)11月12日)は、日本の作家。
大学卒業後に海軍予備学生に志願し第十八震洋特攻隊隊長として、奄美群島加計呂麻島に赴任。1945年8月13日に特攻戦が発動され、出撃命令を受けたが発進の号令を受けぬまま即時待機のうちに終戦を迎えた経験を持つ。「ヤポネシア」なる概念を考案したことでも知られる。
作品は超現実主義的な『夢の中での日常』などの系列、戦争中の体験を描いた『出発は遂に訪れず』などの系列、さらに家庭生活を描いた『死の棘』などの系列に大別される。また生涯書き続けられ、小説作品との決定的な差異は無いとされる日記や紀行文など記録性の高いテキスト群や南島論なども高い比重を占める。
妻はのちに作家となった島尾ミホ。長男は写真家の島尾伸三で、漫画家のしまおまほは孫にあたる。島尾の浮気に起因する心因性の精神症状に悩む妻との生活を描いた『死の棘』は小栗康平によって1990年に映画化され、第43回カンヌ国際映画祭にて最高賞パルム・ドールに次ぐ、 審査員グランプリ受賞となった。
島尾敏雄 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』最終更新 2020年2月13日 (木) 03:03
amazonで観れそうなので見てみようと思います。
(追記:観ました。映画の中で、「震洋」や「横穴」、「ハゲー」という言葉や、奄美三味線・太鼓も出てきましたよ。もっと加計呂麻の風景が出てくるかと思ったら東京での生活が中心なのですね。その東京の風景も興味深かったですが)
公園を更に奥へ。この島尾さんが出撃を待っていた震洋(しんよう)が・・・
レプリカですが、実際に戦争で使われたものと同じ形の「震洋」
ここには、第二次世界大戦のときの特攻部隊である震洋の基地の跡が残っている。震洋(しんよう)とは、ひとり乗り、もしくは二人乗りの小型のベニヤ板製のモーターボートの艇首に炸薬を搭載し、敵艦船に向かって全速力で衝突、自爆する部隊のこと。ここ加計呂麻島にもいくつかの部隊が配置され、その跡がまだ残っています。
終戦時には本土決戦に対する備えとして4,000隻近くが実戦配備についていた。震洋の戦死者は2,500人以上。
震洋の基地の跡の穴が幾つも・・・ 30mの横穴も。約5mの長さの震洋が6艇ほど
数珠繋ぎで入れられていたのだろうか?この穴の中から見る海は・・・・
なんと美しい・・・・複雑な思いで撮りました。
入り江は泥岩の赤土が混じりなんとも云えない色合いの海でした。真珠の養殖も行われていました。
更に入り江の先端方向に行くと・・・・
このように泥岩の赤い岩が剥き出しになっていました。
アダンやサキシマスオウノキの果実や・・・・果実は海水に浮いて海流散布します。
なぜ、この石には穴が開いているのでしょう?サンゴや泥岩に住み着く「スズガイ」という貝の仕業だそうですよ。振るとカラカラ音がして中を覗くと貝殻が見えました^^
つづく~
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