2021.11.27~29 キャンプ場のクローズの手伝いで山梨市周辺へ行きました。ついでにあちこち回ってきましたよ。
中央道からは真っ白な富士山が見えていました。
ちょっと時間があったので上野原インターで下りて「猿橋」へ。変わった猿橋という橋があることは昔から知っていましたが行くのは初めてです。
橋畔にある猿王を祭る山王宮の小祠
モミジの紅葉が未だ見れましたよ。
観光ボランティアの猿橋の紙芝居。他界された名物観光ボランティア根岸さんの娘さん?今日がデビューだと仰られていました。
紙芝居前に、猿橋についていろいろと整理されたファイルを見せて頂き教えてもらいましたよ。
桂川・・・相模湖へ入り、相模川となって茅ヶ崎・平塚の市境から相模湾へと注ぎます。この橋は、手前は八ツ沢発電所第1号水路橋、奥の赤い橋は甲州街道(国道20号)に架かる新猿橋です。
反対側にも橋が・・・小和田猿橋線に架かる、こちらも新猿橋。
猿橋の西側は川幅が広くなっています。猿橋公園や郷土資料館があります。
で、桂川はグッと狭くなり・・・
かなり高低差のある峡谷になります。
そこに架かっているのが猿橋
猿橋 すごい造りですね~。
江戸時代には「日本三奇橋」[注釈 1]の一つとしても知られ、甲州街道に架かる重要な橋であった。猿橋は現在では人道橋で、上流と下流にそれぞれ山梨県道505号小和田猿橋線と国道20号で同名の新猿橋がある。長さ30.9メートル、幅3.3メートル[1]。水面からの高さ31メートル[2]。深い谷間のために橋脚はなく、鋭くそびえたつ両岸から四層に重ねられた「刎木(はねぎ)」とよばれる支え木をせり出し、橋を支えている[1][2]。
所在する猿橋町猿橋は桂川とその支流・葛野川の合流地点の付近に位置し、一帯は甲斐国と武蔵国・相模国の交通拠点である。江戸時代には猿橋村が成立し、甲州街道の宿駅である猿橋宿が設置された[3]。
猿橋が架橋された年代は不明だが、地元の伝説によると、古代・推古天皇610年ごろ(別説では奈良時代)に百済の渡来人で造園師である志羅呼(しらこ)が猿が互いに体を支えあって橋を作ったのを見て造られたと言う伝説がある[1][4][5]。「猿橋」の名は、この伝説に由来する[4]。
1676年(延宝4年)以降に橋の架け替えの記録が残り、少なくとも1756年(宝暦6年)からは類似した形式の刎橋である。
この様な構造の橋は猿橋に限られなかったが、江戸時代には猿橋が最も有名で、日本三奇橋の一つとされた。現在の猿橋は、1984年(江戸期の復元)。
こんな、大月で語り継がれてきた桃太郎物語もあるようですよ。
八ツ沢発電所施設第一号水路橋
八ツ沢発電所施設第一号水路橋
国の重要文化財。日本初の大規模な水路式発電施設で、東京電燈株式会社(現在の東京電力)が1914年に建設。
お猿さん♪ 猿橋を見守っています。
えんきょう 猿橋の脇のお土産屋さん。たっぷり量のお惣菜を三つ買ってキャンプ場へもっていきました。どれもとても美味しかったです! つづく~
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