

清泉寮前より

富士山(望遠撮影)

清泉寮

ポール・ラッシュ博士の銅像は富士山を向いています。
「清里」といえばバブルの頃に「高原の原宿」と云われるほど人気がありました。私も若い頃に何度か来たことがあります。ペンションも多く、若い人たちが集まる旅行地でした。清泉寮のソフトクリームも有名でしたね。
ちょっと清里の歴史を調べてみました。「ROCK」のhpとwikipediaによると、
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1935年清里への開拓開始東京都の人口増加に伴い必要になった水源確保のため、山梨県の丹波山村および小菅村の一部がダムとして奥多摩湖に沈むことが決定。その際、住民の移住地として選ばれたのが、当時荒れ地であった清里でした。
1937年「ポール・ラッシュ博士」清里へ後に清里開拓の父と呼ばれる「ポール・ラッシュ博士」が清里へやってきます。清泉寮、キープ協会を立ち上げ、清里の開拓に従事していきました。
1971年 喫茶店ROCK創業1970-80年清里ブームの時代へ清里が『an・an』や『non・no』といった女性誌に取り上げられるようになり、若い女性を中心に観光客が急増しました。タレントショップが立ち並ぶなど観光地化も進み、バブル期には「高原の原宿」と呼ばれるほどのブームになりました。
1975年の調査では87万人だった観光客は1989年の調査では約3倍の254万人に増加、ペンションの数は約130棟に上りました。
1990年代初頭のバブル崩壊後にブームは沈静化し、とくに清里駅周辺店舗の閉鎖が相次ぎました。最盛期には一坪500万円に上った駅前の地価は、2017年では一坪3万円に下落しています。
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その後の清里は、老舗レストランROCKを中心に盛り返してきたようです。1997年 ブルーパブレストランROCK」オープン店内に醸造施設を併設するレストランとして2代目店舗がオープン。ブルワリー併設レストランは当時山梨県内では初、日本全国でもまだ珍しいものでした。
しかし、2016年ROCK、火災にて焼失8月8日の深夜に出火した火災により、店舗が全焼。
2017年「萌木の村 ROCK」オープン火事から1年も経たない2017年6月9日、店舗オープン。店名もこのとき「萌木の村 ROCK」に改められた。
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清里がこんな風に現在に至っているとは全然知りませんでした。平日のROCKや清泉寮は高齢のお客さんも多く、リタイヤされた方も含めて賑わいつつあると感じました。八ヶ岳山麓で、富士山も拝めるし、南アルプスの山々も・・・。改めて良い所だと思いました。











